詩歌について思うこと

2014-12-06 22:49:43

俳句等の多くの韻文詩は、形式を守ることのみに囚われて、心に訴えるような内容のものが少ない。

極言すれば、『朝起きて、顔を洗って、朝ごはんを食べた』、そんな感じの詩歌が多い。

燃えるような紅葉や、満開の桜を見て感動したなら、その感動をいかに表現出来るかが詩歌の価値だと思う。

別に感動の正確な内容が読み手に伝わらなくてもいい。

ただ感情の性質と、その大きさが読み手の心に響くなら、それが詩歌の価値だと思う。

悲しみの大きさ、喜びの大きさ、葛藤の大きさ、悟りの大きさ。

そもそも正確に思いを伝えたいなら散文でいい。

『朝起きて、顔を洗って、朝ごはんを食べた』、仮にそれがその人にとり重要な感情を呼び起こすものなら、その当たり前の日常に感謝して、これを詩歌へと表現するなら、そんなありきたりの事実だけを並べても意味が無い。

それに対する感謝の気持ちや、感動の部分を詩歌にしなければ価値がない。

いくら韻を踏んでいても、誰が見ても同じ事実を並べるなら、形式だけを固守して中身の伴わない虚礼と同じ。

作者自身が感じた感情の部分を表現すれば、共感もされようし否定もされる。

少なくとも、何も心に残らないとして無視されることはない。

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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