中道とアンガージュマン

2011-07-07 12:08:08

哲学者サルトルの書いた戯曲に、『悪魔と神』というものがあります。

主人公の将軍は、戦争の遂行能力は高いのですが、慈悲の心を持たずに人を殺しました。

しかしある日彼は、キリスト教の信仰心に目覚め、一切人を傷つける事から離れて司祭になります。

その行いは両極端です。

しかしその後、彼以外に人材がいないので、国を救うためには戦争に戻らなければならないと悟るお話です。

悪魔のような人が、神のような人になり、そこから人になるような感じです。

極端から極端に至り、その後中道に至ります。

私が十代の頃、この本から受けた感想は上のようなものですが、サルトル自身がそれを意図していたかどうかは分かりません。

サルトル自身の哲学としては、人というものは現在の自分を否定して、より新しい理想を実現するために、積極的に社会参加するべきというものです。

自分の理想を獲得するために、それに向かって自己を拘束し、試行錯誤により得られた理想は、また新たな理想を獲得するために破壊されるべきであり、またそれに向かって自己を拘束して行くという感じでしょうか。

サルトルのこのような哲学をアンガージュマンといいます。

アンガージュマンを前提に、戯曲『悪魔と神』を考えれば、残忍なる殺人者としての指揮官から、聖なる神の司祭になり、そこから理想の実現のために、慈悲の心を持つ殺人者としての指揮官になるというのは、人の道の両極端の道を超えた、最終段階としての中道ではなく、その中道もまた、いずれは新しい理想に向かって自己否定されるべきものに過ぎないのでしょうね。

それでも私は東洋思想にある中道の考えが好きです。

日本も戦前と戦後では両極端ですよね。

私は日本は中道になるべきと思います。

戦前の全てを否定するのではなく、戦前の良いところ悪いところを検証し、戦後の全てを否定するのではなく、戦後の良いところ悪いところを検証し、まず中道を実現してこそのアンガージュマンではないかと思います。


【東洋文化史における仏教の地位】著者・高楠順次郎(1866年-1945年)

『ちょうど日露戦争の時に私は末松男爵に随ってロンドンに三年戦争中に渡って滞在した時があり、まだ戦争が始まらぬ前に、日本を出る時どうせ奉天も日本の兵が占領するに違いないから、黄寺にある満洲経をどうか日本に取り寄せることが出来れば取って戴くことを願うということを時の宮内大臣に申し送った。宮内大臣もそれを諒とせられ、だんだん日本軍の進むに従って出先の山懸参軍にその事を申し送り一切経収容のことを希望された。然るに「今度の戦争は正義の戦争で分取りに類することは一切しない。殊にシナの中立地帯からたとえそれが大切なものであっても、これを無償で取るということは一切出来ない、これは陛下の思召しと雖もお断り申してくれ」ということであった。それを宮内大臣が明治天皇陛下に申上げられたところ、それほど大切な物なら内帑の金で買ってやれ、と仰せになって御内帑金二万円をお出しになって満洲の一切経を買入れの上大学にお下げになって頂戴したのであります。』


日本はどこからおかしくなったのでしょう。

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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