ファンタジー創作小説【フロウ】後編

 滑らかな金属質の部屋。

 薄暗い。

 中央には、金属製の寝台に仰向けに寝かされた人影。

 寝台から出た金属の輪に、首と手足を拘束されている。

 人影が呻いた。

 アトラ国の王サーヴァだった。

「息苦しい……生きているのか……ここは?」

 金属質の床に、硬質の足音が響く。

 側に男の姿。

「気がついたか」

 男が覗き込む。

「誰だ……」

「我が名はカリツァー、魔王を創り出せし者」

「お前が……俺を……どうするつもりだ?」

 カリツァーは自らの剣の柄に手を添えて言った。

「こうするのさ」

 そして剣に気を込める。

「ぐあ!!」

 サーヴァの左腕が潰れた。

「何を……」

 額に汗が滲み、呻くように呟く。

「伝説の剣の継承者も、剣がなければただのガキだな」

 そう言ってさらに気を込め、サーヴァの右腕を潰す。

 歯を食いしばり、痛みに耐える。

「次は足だな」

 両足を潰す。

「な、ぜ……」

「次は腹か」

「やめて、くれ……」

「それで王とはよく言えたものだな」

 サーヴァはその言葉を聴き、びくっと身体を震わせた。

「つまらんプライドだ」

「わかっているさ!!」

 自分自身に腹を立てる。

 カリツァーは無言で剣を抜き、サーヴァの上に振り上げた。

 サーヴァが葛藤の声を上げる。

 ぽつりとカリツァーが言った。

「潔い死に際を見せられぬ自分に、腹が立つのだろう?」

「俺は誰も救えなかった。殺すがいい! 胸を張って死んでゆけるような者ではない。惨めな死に様が相応しい」

「そうでもないさ」

「お前が魔王を創ったと言ったな……」

「そうだ」

「何故!?」

「全ての者を救うために」

「人々を魔物に変えて、どうやって救うというのか!」

「続きは傷を治してからだ。本来の姿を思い描け……」

 そい言うとカリツァーは、赤の剣でサーヴァの身体に触れた。

 眼に見える速さで傷が治って行く。

 さらにカリツァーが気を込めると、サーヴァの戒めが音を立てて砕けた。

「我れは、失敗したのだ」

 その言葉を待っていたかのように、滑らかな金属質の床が盛り上がり、三体の人型が踊り上がる。

 色は赤黒いが、水銀を捏ねて作ったようなそれは、異様な動きを見せた。

 カリツァーは振り向きざまに剣を抜き放ち、跳びかかってきた一体を両断した。

 斬られた一体はそのままの姿で床に転がり、残りの二体は左右に散る。

 寝台から飛び降りるサーヴァ。

 右の一体が手首よりも先を赤黒い長剣に変化させた。

 左の一体は手首の先を無数の糸に変化させる。

 カリツァーは長剣を持つ一体に向かい、ゆっくりと歩き出した。

 後ろからは無数の糸が乱れ来る。

 半身振り返り左手をかざすカリツァー。

 気合と共に掌から衝撃が発し、無数の糸ごと、金属の身体が壁にめり込み潰れる。

 手首を長剣にした一体は、背中から壁に溶け込もうとしていた。

 カリツァーは踏み込んで敵の長剣を根元から折り、さらに赤い刀身を壁に突き入れる。

 息も乱さずに。

 今しがた斬り落とした長剣を拾い上げ、サーヴァに赤の剣を柄から差し出す。

「受け取れ」

 動揺するサーヴァ。

「その気性には炎の剣が相応しい」

「あなたは……」

 シルスは不思議な装置に囲まれた部屋をいくつも通り過ぎた。

 閉ざされた扉は掌を当てるだけで破壊される。

 そこから生じる衝撃波と共に。

 広い部屋の中、扉を砕いたその向こうに、大きな獣が潜んでいた。

 その身体は赤黒い金属で出来ている。

 シルスが足を踏み出すと、巨大な獣が跳びかかった。

 同時に、床から無数の金属質の触手が生え、シルスの身体に這い登る。

 次の瞬間、部屋の全てが凍った。

 空中にあった獣も凍りつき、慣性のままにシルスの身体に飛び向かう。

 それはシルスに触れた瞬間、シルスを縛めた触手と共に砕け散る。

 凍てついた部屋は美しい霜に包まれていた。

 赤の神殿の内部通路。

 薄暗い通路に硬質の壁。

 澄んだ靴音が響く。

 カリツァーが振り返って言う。

「何故ついて来る?」

「俺にはどのみち、帰る場所がない」

「邪魔だ」

 振り返り、そのまま進みはじめる。

 後を追うサーヴァ。

「剣を。この剣はあなたのものだ」

「必要ない」

「しかし……」

「見届けたいなら、手放すな」

 赤の剣を手にし、納得のいかない顔で後に続くサーヴァ。

 不意に、眼のある金属球が壁から飛び出した。

 その数七。

 金属の眼が次々と輝く。

 カリツァーが点から点へ移動する。

 速すぎて移動の軌跡が見えない。

 カリツァーの姿が消えた後を、金属球の発する光が薙ぐ。

 カリツァーの姿が現れると同時に、金属球の眼が長剣に刺し貫かれる。

 サーヴァを襲う光線は、サーヴァの身体に触れる前に、直前の空間で霧散する。

 カリツァーの動きに見とれていたサーヴァが、あわてて剣を構えたときには、金属球は全て床の上に転がっていた。

 その瞳を貫かれて。

「足手まとい、だな……」

 サーヴァがぽつりと呟く。

「ついて来い」

 カリツァーが振り向きもせずに言った。

「見届けてやるさ」

 赤黒く滑らかな通路の壁に、カリツァーとサーヴァの姿が映る。

「魔王とは強いのか?」

 サーヴァが訊く。

「強いな」

 カリツァーが答える。

「勝てるのか?」

「さあな」

「負けたら?」

「お前が倒せ」

「分かった……」

 壁に映った影が動きを変える。

 カリツァーとサーヴァの姿を写したまま、左右から二体づつ、合計四体が飛び出した。

 カリツァーは右の自分を斬り、右斜め後ろのサーヴァを貫く。

 サーヴァは左の自分を斬り、左斜め前のカリツァーを貫く。

 二人の動きはほぼ同時だった。

 ニヤリと笑うカリツァー。

 不敵な笑みを返すサーヴァ。

 カリツァーとサーヴァは今、左回りの螺旋階段を登っていた。

「カリツァー、伝説の剣とは何だ? なぜあなたには剣が不要なのだ?」

 サーヴァが尋ねる。

「薬物のような物だ。手にしている限り異常な力を発することが出来る。力の増幅器と言ってもいい」

「そんな物を何故俺に渡す? 力の増幅器なら、あなたが持っているべきではないのか?」

「人の生まれ持った心の力は、呼吸によって高めることが出来る。それは、呼吸の円を越えた、螺旋階段を登るようなものだ。我れは既に永い時をかけて、伝説の剣の高みに達している」

 カリツァーの答えにサーヴァは、『よくわからん』、という顔をしながら質問を続ける。

「そもそも伝説の剣とは何のために生まれたんだ?」

「剣とは人にとっての言葉のようなもの。人が言葉により心の力を制御するように、伝説の剣は増幅された力を制御する。つまり神殿とは、人にとっての心であり、剣とは人にとっての言葉なのだ」

「それが俺の質問への答えなのか?」

「人の心の集約が神殿であり、神なのだ。伝説の剣とは神の言葉に過ぎず、神は人と意思の疎通を図ろうとした。それだけだ」

「分かりにくいな」

「分かれば剣は必要ない」

「では、魔王とは何だ? なぜこんなことになった?」

「……あるところに、一人の男が居た。男は伝染性の不死を一人の女に適用したが、女は不老を制御出来なかった。男は哀れみから女を生かし、ゆっくりと化物に変わるその女の姿を、定期的に本来の姿に治療していた。ある日、女が果樹を摘みに森に入ると、一匹の毒蛇が彼女を殺した。その後、狼が彼女の屍肉を食らった。不死は狼と蛇を介して、人々の間に拡散した」

「男は、その女を愛していたのか?」

「さあな……男は不死に侵された者達を殺し尽くそうとしたが、そこに彼の友が立ち塞がった。友は彼に、『何か方法があるはずだ。うまくすれば皆が正しく不老不死に至る道が何か』、と言ったそうだ。男のもう一人の友は強硬に反対したが、結局押し切られた。そうして、皆で改善作を模索している内に、不死は手に負えない程の広がりをみせた。もう不死に侵された者を殺し尽くすよりない。友もついに納得したが、ある地域に赴いたとき、死んでしまった」

「つまり、全ての魔物を滅ぼす方法が、魔王というわけか」

「魔王もまた我が友だった男だ……全ての魔物から不死を奪い去るために、不死の高みから飛び降りたのだ。そしてその落下はもう自身には止められず、今も落ち続ける。誰かが止めてやらねばならない」

 二人は無言のまま螺旋階段を出ると、通路の先に扉が現れた。

「着いたぞ」

 頑丈そうな扉の前にカリツァーがいた。

 感慨深げにたたずんでいる。

 その後ろにはサーヴァ。

「この向こうに魔王がいる。しかし、お前の出番はまだだ」

 カリツァーは長剣に気を込め扉を斬る。

 幾筋もの軌跡を残し、扉が音を立てて崩れて行く。

 扉の向こうには、都市の廃墟が広がっていた。

 広大な空間と共に、高度な文明の廃墟があった。

 しかし僅かに遺る巨大な建造物よりも、さらに巨大なものがあった。

 それは都市の中央にいた。

 赤黒く爛れた肌。醜く膨れた赤い目。

 その首が、七つに増えている。

「あれは?」

 サーヴァが尋ねる。

「あれが魔王アータル。アトラ国の主神にして、我が友、の変わり果てた姿だ……」

「神が、魔王だと……」

「いくぞ」

「狙うべきは?」

「心臓だ」

 サーヴァが飛ぶ。

 地面よりも少し上、人の腰の高さを。

 その前方にはカリツァーの姿が見える。

「掴まれ」

 手を出すサーヴァに掴まるカリツァー。

「よけいな世話だ」

 カリツァーの言葉に苦笑するサーヴァ。

 一気に高度を上げ、廃墟の上を高速で飛ぶ。

 竜の首がそれぞれ炎を吐く。

 サーヴァは軌道を変え、あるいは避け、あるいは竜の炎を斬る。

 その眼の前に、赤い竜の首が迫った。

 うねる首の間を飛び、二人は多くの首をそれぞれの剣で傷つける。

 その度毎に、傷が赤黒い血をしぶく。

 一つの頭が現れた。

 大きく口を広げる。

 左下に避け、すれ違いざま赤の剣で首を薙ぐ。

 すると、澄んだ音を立てて赤の剣が砕けた。

「何!?」

 叫ぶサーヴァ。

 落ちる。

 カリツァーが竜の首の一つに長剣を突き立てた。

「しっかりつかまっていろ!」

 サーヴァに向かって言う。

「俺は!!」

「かまわん。剣の寿命だ」

 言う内にもカリツァーの長剣は熱を帯び、灼熱して行く。

 いくら再生の呪文を唱えても、その熱を凌駕することは出来ず、ついにカリツァーの腕が燃え始める。

 さらに、竜の別の首が眼前に迫り口を開いた。

 炎が吐き出される寸前、その首が落ちる。

 落ちゆく首の後ろには、シルスの姿があった。

 赤い竜の首がまた落とされる。

 カリツァーの剣がそれに突き刺さったままの首が……

 首が落ちる寸前、シルスはカリツァーの長剣を斬り、二人を地上、少し離れた所に降ろす。

 シルスは剣を通してカリツァーの傷を治し、すぐに背を向けて歩き出す。

 その背にカリツァーが声をかけた。

「黒の剣の使い手だな?」

 その声にシルスが歩みを止める。

「何か、武器になるものはないか?」

 カリツァーが問う。

「悪いな」

 静かに答えて歩き出すシルス。

 苦笑するカリツァー。

 そしてカリツァーも歩き出す。

「友を犠牲にした我れに、この程度の苦痛では、足りんのだ……」

 サーヴァはその場に座っていた。

「また、伝説の剣がないと何も出来んのか? 俺は……さて……」

 苦笑しながら起き上がり、歩き出す。

 シルスは竜を見ていた。

 ごふっ!

 シルスの喉から血が溢れる。

 気がつくと、胸を貫かれていた。

 カリツァーの手に、背中から……

 カリツァーが手を引き抜くと、シルスは膝をつき、前のめりに倒れた。

「後ろが甘いな」

 言いながらカリツァーは黒の剣を手にする。

 そして竜に向かって歩き出した。

 サーヴァが叫ぶ。

「カリツァー! お前はいったい!?」

 カリツァーは振り向かずに言う。

「友は我が手で殺す」

「正気か? 奴は!?」

 そしてシルスに駆け寄る。

 まだ息がある。

 しかし傷は重く、失われた血は大地を染め上げる。

「長くはない……救うには、剣か……」

 サーヴァは柄だけが残った赤の剣を持っていた。

 柄をシルスに当て、念を込める。

「無理か……」

『奴を止めるしかない、か……』

 柄をシルスの背に残したまま、サーヴァはカリツァーの後を追った。

 竜の前にはカリツァーがいた。

 竜の攻撃は全て、カリツァーの剣に弾かれる。

 カリツァーが飛ぶと、次々に竜の首が落とされる。

 炎を浴びせようと開かれる口も、両断される。

 竜は全ての首を失い、カリツァーは動きを止めた竜の背に降り立つ。

 瞬間、竜の尾がカリツァーを襲う。

「無駄だ」

 カリツァーは言い、剣が閃く。

 尾は両断され、さらに赤い竜の背から真一文字に、血が吹き出す。

 竜の身体は両断され、その血が高温のマグマとなって迸る。

 サーヴァは急いでシルスの元に駆け戻り、シルスを抱え上げてマグマに呑まれまいと走った。

 竜が両断された後、その中心には赤い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。

 カリツァーは掌に包めるほどの小さなそれを、呑む。

 赤いオーラがカリツァーを包み込んだ。

 カリツァーは左手を真上に向け、気を込めて頭上高くを撃ちぬいた。

 赤い衝撃は天を昇り、神殿の頂部を吹き飛ばす。

 カリツァーはそのまま上昇し、黒の剣を投げ捨てる。

 黒の剣はサーヴァの足許に深く刺さった。

 サーヴァがシルスを連れて逃れた場所に。

 サーヴァは剣を引き抜きシルスに触れる。

 傷は塞がって行くが、意識はなかった。

 その側にノルズが現れる。

 虚空から。

「お前は?」

 サーヴァが訊く。

「剣の精。ノルズ」

「剣の精……聞いたことがある。伝説の剣はそれぞれに化身を持つと」

「お前に頼みがある」

「頼み?」

「シルスを青の神殿に運んでほしい。私の命があるうちに。場所は私が導く。あ奴の神殿も近くに来ているはずだから」

「どういうことだ?」

 訝しげにサーヴァが訊く。

「魔王は全ての宝珠を狙っている」

「カリツァーのことか?」

「彼はもうすぐ私に出会うだろう」

 サーヴァは眉をひそめる。

「どういうことだ?」

「本当の私は神殿の中にある。剣は端末にすぎない」

「神殿の中?」

「そう。宝珠こそ私の心臓。彼は、私の心臓も食らうつもりだ」

 気がつくと、カリツァーは漆黒の宇宙に浮かんでいた。

 眼前には闇が暴風となって荒れ狂っている。

 闇が語った。

「剣とは何か?」

 カリツァーの赤いオーラが、闇の流れに少しずつ奪われて行く。

「きっかけだ。当たれば死ぬ」

 カリツァーが答える。

「きっかけとは何か?」

「大義名分だ。呪文もまた」

「大義名分とは何か?」

「制約だ。殺されたら死んでもいい」

「制約とは何か?」

「無ければ肉体もいらない物だ」

 そう言うと、カリツァーの身体に変化が起こった。

 半身から溶けかかり、左の眼球は既に無い。

「たいした幻覚だ」

 カリツァーが言うと、肉体の再生が始まる。

「魔王よ。そなたの目的は何だ?」

「世は狂いすぎた。我が手によってな」

「なら正せば良い」

「そうするつもりだ。全てを破壊してな」

「何故?」

「魔物たちに人間レベルの知性が戻った所で、もはや人としては生きられまい。人間達は今や知性を失い生きているだけの獣となり果て、獣達はその知性をさらに失った。愚劣に堕した者たちは、全て我れが救ってやる。我れは救世主なり」

「全てを破壊してどのように世を救うつもりなのだ?」

「肉体を破壊すればそれ以前の姿が残る。全てをやり直そうというのだ。初めから」

「魔王よ。言葉は制約を生むぞ。それでもなお語り続けるのか?」

「制約が無ければ制御することは出来まい」

「そうか。別の要素が入り混じっているのだな。そなたは……堕ちた赤い竜の影響か……」

「何を言っている?」

「そなたに問う。全てを無に帰するつもりなら、最後にそなた自身をどうする?」

「我れは救世主、無ではない」

「制約の無いものは無限だが、全てを無限の存在にした後、そなただけが取り残されて、無限の存在に怯えるつもりか? 人はより制約の無いものを怖れるもの。それでもなおそなたは、制約を持つ魔王でいるのか?」

「我れは救世主。ならば全てを滅ぼして後、我れも無に還ろうではないか」

「無は無制限。そなたと人々との隔たりを無くしたいのか? 他の人々との均質を望むのか?」

「無がこの我れよりも優れたものなら、全てのものを無に引き上げる我れは、救世主ではないか。さらに無が我れよりも優れたものなら、我れは最後に我れ以上のものと、対等になることが出来る。素晴らしいことではないか」

「それ程すばらしいことなら、今すぐ無に還ればよいではないか」

「我れは救世主。全ての者を救う義務がある」

「それは誰にとっての救いなのだ? そなたを満足させるそなただけの救いか? それとも全ての者を救うために、そなたが犠牲となる、他の者の救いか?」

「この我れを含む全ての者の救いだ」

「では問おう。救いとは何か? 幸不幸はその者の価値観によって変わる。そなたの価値観を優先させての救いなら、それはそなたの救いであって、他の者には当たらない」

「ならば価値観を同じにすればよい。皆が無に行けば同じ位置。同じ価値観となろう」

「しかしこの時点では無ではない、そなたの価値観はどうなる?」

「我れは初めからその価値観を手に入れることを望んでいる」

「ならばその価値観を持っていない者に、言い換えるなら、いまだその位置に達していない者に、どうしてその価値観を勧めることが出来る?」

「それは我れが無を最勝の物と信じているからだ」

「ならば無が滅びよと言えば、そなたは滅びるのか? 何の疑いもなく」

「ああ、本当に無ならばそうしよう」

「では言おう。私が無だ。魔王よ、今こそ滅びるがよい」

「お前は無ではない」

「何故疑う? そなたは、無とは何かを知っているのか?」

「全ての制約を離れた物が無だ」

「ならば言おう。私は制約を持った無だ。私の言うことを信じ、滅びるがよい」

「お前はまだ無ではない。それにお前が今の状態のまま無の価値観を持ち得るなら、我れも今の状態のままで、無の価値観を持ち得ることになるではないか。無の価値観を持つ我れが、その価値観を全てに広げて何が悪いというのか?」

「認めるのか? この私が無の価値観を持っていると。ならばその価値観において命じる。魔王よ、滅びるがよい。もし認めないのであれば、そなたにも無の価値観は無いことになり、そなたに無の価値観を広めることは出来ない。所詮そなたに出来ることは、無の価値観とはこうであろうという想像を広めるのみ」

「方法はわかっている。 全てを滅し尽くせば、全ての者を無に送り込むことが出来る」

「そんなことで本当に無に帰することが可能だと思うか? 人が死ねば肉体という制約を失うのみ」

「ならばその後に残る物全てを滅してやろうではないか」

「全てが無に還り得るなら、人は皆無から生じたのだ。同じように、そなたが全てを滅した後、有が生じたらどうする? それともそなただけは制約として残り、永遠に無の召使いとして生きるのか? 現れるはずの有を滅するために」

「それもよい……現れるべき有限の物が方向を誤まてば、その度に世界を滅ぼすのもな」

「やっと姿を現したな……人間よ。 魔王はどうした?」

「たった今、食い尽くしたところだ…………魔王とは、愚かな……」

「そなたは愚かではないと言うのか?」

「さあな」

「そなたの目的は何だ?」

「人々を救う」

「救えるのか? そなたに。目的の為に手段を選ばない者に」

「出来れば選びたいが……悪いな、我れは急ぐ」

「そなたの理想とは何だ?」

「人々の笑顔だ」

「そう、私の愛した方と、同じ理想……人間よ、これだけは覚えておけ。 一人で無理をするな……」

 カリツァーの前に、黒い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。

 呑み下す。

 カリツァーのオーラが闇の色に変わる。

 サーヴァはシルスの身体を肩に担ぎながら飛んだ。

 空間をノルズが先導して飛ぶ。

 青の神殿が見えた。

 滑らかな神殿の表面に降り立つ。

 足が滑り、慌てて黒の剣を突き立てる。

「傷つけましたね」

 後ろで声がした。

 振り向くと、青銀の髪を風になびかせた青年が浮かんでいた。

 その横には、青の剣を手にした赤毛の青年。

 ギースとサーヴァが同時に息を呑む。

「その剣は!?」

「シルスなのか!?」

 サーヴァとギースが同時に声を上げた。

 青の神殿の内部には、青い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。

 その下には瑞々しい緑が広がり、美しい森や草原が広がっている。

 建物もぽつぽつと点在していたが、それほど目立たなかった。

 丈の高い草原には、馬のように大きな狐が、銀色の毛皮を揺らしながら駆けて行く。

 所々には美しい丘があり、花が咲き、小鳥が飛ぶ。

 朝露を受けた春のような光景が広がっていた。

 一つの丘の上。サーヴァは柔らかい草の上にシルスを寝かせ、その腹に黒い刀身の剣を載せた。

「その剣は?」

 ギースが問う。

「この男のものだ」

 シルスを見ながらサーヴァが問う。

「あの青の剣は……」

「これか?」

 ギースは剣を見せる。

「その剣はお前のものなのか?」

「ああ。ジェフが言うには、俺の方が剣の持ち物みたいなんだけどな」

 ちょっと照れぎみに答えた。

「そうか……剣に選ばれたのか……」

 暗い表情を見せるサーヴァ。

「あなたは?」

 ジェフが訊いた。

 それに対し、自嘲ぎみに答えるサーヴァ。

「アトラ国の王、サーヴァ」

「あなたが……」

「そうですか……それは苦労されましたね」

 ジェフが口を開く。

「え~と、じゃあこの剣は?」

 青の剣を手にして、ギースが言う。

「剣が選んだのだから、それはお前のものだ」

 微笑んでサーヴァが言った。

「いいのかな?」

 ジェフに訊くギース。

 笑顔で頷くジェフ。

 三人は寝かされたシルスを囲んで座っていた。

「そう言えば、何でシルスがここにいるんだ?」

 ギースが言った、そのとき。

 金属の軋む音がした。

 シルスの腹の上の黒い刀身に亀裂が走る。

『シルス……生きなさい』

 全員の頭に声が響いた。

 金属の砕ける音が響き、黒い刀身が砕け散る。

 ジェフは静かに目を閉じた……

 カリツァーは黒いオーラに包まれて、次の神殿に向かった。

 夜空に浮かぶ、白の神殿に。

 白の神殿の側面に描かれた、装飾的な眼が白い光りを放つ。

 カリツァーの黒いオーラが膨れ上がり、神殿の白い光を弾きながら、その眼に向かう。

 そのまま中腹に描かれた眼に突っ込み、装甲を破る。

 白の神殿内部を破壊しながら、さらに中心部に向かって飛び続けるカリツァー。

 すると真っ直ぐに伸びる通路が、眼の前に現れた。

 構わず通路上を飛び続けるカリツァー。

 その通路の中ほどに立ちはだかる、一つの影。

 ルートがカリツァーを見据えて佇んでいた。

 カリツァーはその手前に降り立ち、ルートに向かって歩く。

 黒いオーラに包まれながら。

「きさまの目的は何だ!」

 ルートが問う。

 カリツァーは何も語らず、ルートに向かって近づき、踏み込んでルートの顔に拳を叩き込む。

 ルートは瞬き一つせず、最小限の動きでそれを避け、抜刀してカリツァーの胴を薙ぐ。

 しかし金属音を立てて、カリツァーの身体に白い刀身が弾かれる。

「馬鹿な!?」

 跳びすさるルート。

 それを追うかのような横薙ぎの手刀を、剣で受ける。

「腕を上げたようだな」

「少しはな……」

 言いながら、ルートの額に冷や汗が浮かぶ。

 ルートはさらに下がって間合いを取ると、その横にヴェスが現れた。

「あいつの身体は剣と同じよ」

 そう言うと、ヴェスの白銀の髪がざわめきだし、カリツァーに襲いかかった。

「ルート、逃げなさい! 今のあなたでは奴には勝てない!」

 カリツァーが身体を動かす度、身体に巻きついた銀髪が千切れて行く。

「くっ、強度が違いすぎる……」

「剣では剣に勝てないのか?」

 ルートが訊く。

「違うわ。意思の力よ……」

 カリツァーは右の掌をヴェスに向けて気を放つ。

 衝撃波が生まれ、ヴェスの身体を破壊する。

 気をとられるルート。

 カリツァーが風のようにルートの横をすり抜け、手刀で横腹を斬る。

 傷口を押さえながら、両膝をつくルート。

「油断だな」

 カリツァーはそう言い残し、神殿の中心部に向かい再び高速で飛行して行く。

 ルートの肩に手がかかる。

 側には魔導師姿の銀髪の少女。

「追うわよ」

 ルートは剣に意を込める。

 傷が見る間に治って行く。

 額には汗が滲んでいた。

「今なら勝てるかもしれないわ」

 ヴェスが言った。

「どういう、ことだ……」

「あなたの意思の力が高まってるってことよ」

 そう言ってウインク一つ。

 白の神殿の中心部には、街があった。

 廃墟ではなかったが、人の姿はなかった。

 そこには高度な文明の名残りがあった。

 町の中心の上空には、白い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。

 カリツァーがそれに手を触れようとした瞬間、白い光線がカリツァーを襲った。

 ルートの剣が放ったものだった。

 カリツァーが振り向く。

「遅かったな」

 そう言いながら宝珠に手を伸ばす。

 白い光線がいくつもカリツァーの背中に叩き込まれる。

 しかしカリツァーの動きは止まらない。

「カリツァー!!」

 ルートが叫び、カリツァーの頭に一条の光を貫通させた。

 しかし、それでも……

 カリツァーの動きは止められなかった。

 いつの間にかルートの側に現れた少女が言った。

「ルート、最後まで微笑みを忘れずに」

 カリツァーが宝珠を飲み込んだ。

 瞬間……

 剣が砕けた……

 白銀の少女は消えていた。

 呆けたように、カリツァーを見つめるルート。

 涙が頬を伝う。

 カリツァーのオーラが白に変わり、神殿の頂部を撃ち抜いて、外に出て行った。

 ジェフは美しい丘に立ち、遠くを見ていた。

 その後ろには、横たえられたシルスを囲んで、サーヴァとギースがいた。

「疲れたな……」

 横たわったまま、シルスが言った。

 幼なじみのギースに目をやり、さらに言う。

「生きてたか」

「こっちのセリフだ」

 ギースが笑う。

 青い空に雲が流れ、鳥が舞っていた。

「時間がありません。ヴェスが死にました……」

 唐突にジェフが言った。

「何い!?」

 ギースが叫ぶ。

「ヴェス?」

 シルスが訊く。

「白の剣の化身だ」

 ギースが答える。

「そうか……」

 遠い目をするシルス。

「ヴェス」

 呟くギース。

「時間がありません。もうすぐ彼がここにやって来ます」

「どうするつもりだ?」

 サーヴァが訊く。

 それを遮るように、ギースが叫ぶ。

「そうだ! ルートは!?」

「ルート?」

 サーヴァが訝しむような表情をする。

「ああ、いや、だから、あんたを助けに途中まで一緒だったんだよ! あんたの恋人と!!」

「ルート? あのルートなのか!?」

「ああだから今、その安否確認をだね……って、ジェフ、ルートは無事なのか?」

「彼女の生死は、白の神殿に行かなければなんとも言えません」

「こんな時、どうしたらいいんだ!?」

 ギースが叫ぶ。

「一つだけ方法があります」

 遠くを見つめていたジェフが、振り返って言った。

「なんだ!?」

 ギースが訊く。

「あの青い宝珠を食べなさい。あなたが」

 そう言って、天に浮かぶ宝珠を指差した。

「俺が? って待てよ! 死ぬ気かジェフ」

「はい。深刻なことの嫌いなあなたなら、笑顔で出来るはずですよ」

「そんな……まてよ……人を外道みたいに……」

「好き嫌いは言わない! 時間がありませんよ!」

「分かった」

「それでいいのか……」

 サーヴァが言った。

 ギースは目を瞑って、必死に何かを我慢している。

「竜になりなさい。ギース」

 ジェフが力づけるように、静かに言った。

「知らねえぞ……」

 ギースは笑った。

 頬をつたう涙もそのままに。

「さあ! もう時間がありません!!」

 ギースは宝珠に向かった。

「ギース、私の心臓を食い尽くせ……」

 それが、ジェフの最後の言葉だった。

 カリツァーが空を飛んでいる。

 赤黒い甲冑が日にきらめき、黒いマントが風にはためく。

 その全身は、白いオーラに包まれていた。

 風を切り裂き青の神殿に近づく。

 美しいその表面の前で、一旦空中に留まる。

 そして右手をかざして気を込めると、神殿の表面に装飾的に描かれた眼が、内側に向かってひしゃげ、吹き飛ぶ。

 装甲が敗れ、通路が現れた。

 中に入るカリツァー。

 今度は内部を破壊しながら、飛び進む。

 飛びゆくカリツァーを眼のある金属球が襲う。

 しかしカリツァーの右手の一振りで、全ての金属球が壁や床に叩きつけられて潰された。

 時間稼ぎにもならない。

 カリツァーの正面に壁が近づく。

 正面の壁を破ると、広大な空間が広がっていた。

 青い空には雲が流れている。

 美しい春の景色だった。

 カリツァーは宝珠を目で追った。

 しかし、あるはずの所にそれはなかった。

「ばかな……」

 カリツァーは呟いた。

 ギースはシルスとサーヴァを脇に抱え、白の神殿に向かって飛んでいた。

 ギースは青いオーラに包まれている。

「うまく時間を稼げるといいが……」

 シルスが言った。

「大丈夫だって」

 笑いながらギースが言う。

 白の神殿が近づいて来る。

 白の神殿の頂部に向かい、カリツァーが破壊した頂部の穴をくぐった。

 そして、ゆっくりと降りて行く。

 広大な神殿内部を見渡しながら。

「ルート!」

 ギースが叫ぶ。

「ギース、真下だ」

 シルスが言う。

 そして、サーヴァが息を呑む。

 ゆっくりと降りて行き、ルートの側に着地した。

 ルートは俯いて、泣いていた。

「ルート?」

 ギースが声をかける。

「ヴェスが……死んだ……」

「わかってる」

「ルート……なのか?」

 サーヴァが声をかける。

 サーヴァの方におずおずと目を向けるルート。

 眼を見開き、涙が溢れる。

「ああ、やはり……生きていらしたのですね」

「ルート」

 サーヴァが名を呼ぶ。

 その胸に飛び込むルート。

「サーヴァ様。サーヴァ様。御無事で……」

 ルートの涙がサーヴァの胸を濡らす。

「ルートも……」

 ルートの髪を優しく撫でながら言う。

「良かったな」

 ギースが言った。

「すまん。こんな時に……」

「いいっていいって。こんな時だからこそ、だろ? じゃあ、俺は行くぜ」

 ギースがふわりと宙に浮く。

「待て、どういうことだ?」

 ギースの纏った青いオーラを見ながら、ルートが訊く。

「ジェフに貰った」

 ギースが素っ気なく答える。

 そしてギースの身体がゆっくりと浮かんで行く。

 その足を、掴んで地面に引き倒すシルス。

 地面に打ちつけた顔面を押さえて、シルスを見上げるギース。

「行くのか?」

 泣きそうな声でシルスが言った。

「まあな」

 服の埃をはたきながら、起き上がる。

「足手まといなのか?」

「ああ、足手まといだ」

 ギースが答える。

「手伝えることは?」

「無い!」

 そう言ったギースの肩に、後ろから手が置かれた。

 サーヴァだった。

「いや、一つだけあるさ」

 振り返るギース。

 サーヴァは笑っている。

 不審そうな表情をして、見つめるギース。

「これは、俺の国に伝わる伝承なんだが……伝説の剣を手にする者は、己の身体を好きな形に変化させることが出来ると……」

「不老の変化の事か?」

 ギースが言った。

「やはりな」

 サーヴァが笑う。

「なら、伝説の剣に匹敵する物に変化することも、出来るんじゃないか? 武器として」

「なるほど、って、俺はどうなるんだ?」

「髪の一部や爪のように、武器を生み出す端から、切り離せばいい」

「なるほど」

 ギースが右手に気を込めると、手首から先が青い刀身の剣に変わる。

 ポロリと落ち、手首を失った腕がまた再生した。

 剣を拾い上げるシルス。

「使えそうだ」

「次は盾か?」

 ギースが言うと、鏡のような盾が生み出される。

「次は鎧?」

 右手が変化し、美しい鎧が生まれ出る。

「私には、弓と剣を」

 ルートが言う。

 いつの間にか、皆に笑顔が戻っていた。

「剣と槍を頼む」

 微笑しながらサーヴァが言う。

「じゃあ、俺は中に乗り込んで戦えるような巨人がいいな」

 シルスが言う。

「任せろ」

「では、俺は空を飛ぶ巨大な船を頼む」

 サーヴァが言う。

「私には、可愛いペットを。もちろん戦闘力付きで」

 ルート。

「金銀財宝を頼む」

 指を立てながらシルスが言う。

 そして、現れた財宝の中に飛び込むシルス。

 その財宝は、みな青銀色に輝いていた。

 サーヴァがその中から一つの指輪を拾い出し、ルートの指にはめてやる。

 頬を染め俯むくルート。

 白の神殿の内部には、次々と訳の分からない物が増えていった。

「ちょっと待て……さすがに疲れたぞ」

 肩で息をしながら言うギース。

 側に転がる猫型ロボットが微笑ましい。

 カリツァーはまだ、青の神殿の内部にいた。

 美しい丘に佇み、遠い眼をしている。

 そして美しい景色の中を歩き出す。

 ギースは青いオーラに包まれながら、青の神殿に向かって飛んだ。

 その右手にはシルスが掴まり、左手にはサーヴァが、サーヴァの腕にはルートが掴まっていた。

 皆美しい青銀の鎧に身を包んでいる。

 神殿の表面にはカリツァーの開けた穴があり、そこから中に入った。

「ギース、頼む」

 ルートが言った。

「おう」

 ギースは微笑んで答えると、右手を突き出し変化させる。

 すると、美しい青銀の弓が生まれ出た。

 受け取るルート。

 次には矢筒に入った矢が生まれ出る。

 これも美しい。

 そして槍が生まれる。

「こんなもんか?」

 ギースが訊く。

「ああ、充分だ」

 槍を受け取りながらサーヴァが答える。

 皆剣だけは初めから腰に帯びていた。

 そして歩き出す。

 所々にカリツァーの破壊した物達が転がっている。

 シルスが言った。

「この戦いが終わったらどうする?」

 ギースが答える。

「そりゃあ冒険旅行だな。世界中を旅するんだ。 シルスはどうするんだ?」

「森に篭って、本でも読んで暮らそうかな」

「何か、年寄りみたいだな」

「俺達はどうする?」

 ルートに向かってサーヴァが訊く。

「どうしたいんです?」

 ルートが訊き返す。

「どうしたいんだろうな?」

 顔を見合わせて笑い合う。

「勝たなきゃね」

 シルスが言った。

 皆まじめな顔になって頷く。

「そうだシルス。戦いが終わったら、一緒に冒険旅行に出ないか? 世界中に文化ってやつを広めて回るんだ。面白そうだろ?」

「考えとくよ」

 シルスが笑った。

「行くぞ」

 通路の尽きた先。ギースが言って広大な空間に飛び降りる。

 全員がギースに掴まっていた。

 地上に降り立ちギースが叫ぶ。

「勝負だ! カリツァー!!」

 しかしカリツァーの姿はどこにもなく、平和な景色が広がっていた。

 どこからも反応が無いので、思わず照れ笑いするギース。

 その時、点在する建物の一つが爆発した。

 ギース達の近く。

 壁の向こうには、カリツァーの姿があった。

「待っていたぞ」

 カリツァーが言った。

「俺が逃げるとは思わなかったのかよ?」

 ギースが訊く。

「逃げてどうなる?」

 カリツァーが宙に高く浮かぶ。

 ルートが弓を射る。

 カリツァーがうるさそうに手を振ると、生まれた衝撃波に空中の矢が散らされた。

「逃げるぞ!」

 ギースはそう言い走り出す。

 後に続く三人。

 カリツァーの手の中に炎の球が生み出される。

 無数の火焔球が四人を襲う。

 四人はそれぞれ別方向に散る。

 カリツァーが右手を振り上げると、その直下からギースにかけて、大地が一直線に凍って行く。

 ルートが弓を射る。

 空中のカリツァーの腕に突き刺さった。

 眉をひそめて矢を引き抜くカリツァー。

 凍りついたギースが氷を割って出てくる。

 サーヴァが槍を投げた。

 カリツァーは紙一重でそれを避け、サーヴァの動きを眼で追う。

 瞬間、後ろから槍に貫かれた。

 腹部を。

 槍はそのまま貫通し、サーヴァの手に戻って行く。

 シルスが剣に気を込めた。

 すると剣は一条の光を生み、カリツァーの左腕を切断する。

 血がしぶく。

 しかし切断された腕を右手で掴んで傷口に合わせると、再びカリツァーの身体に繋がる。

 腹の傷も既に再生していた。

 カリツァーが地上に降り立つ。

 その左手からは剣を手にしたルートが、右からは槍を構えたサーヴァが接近する。

 正面には剣を上段に構えたシルスがいた。

 シルスが剣を振り下ろす。衝撃波が生まれ、カリツァーを縦に薙ぐ。

 左右に両断されるカリツァーの身体。

 シルスは一応警戒して背後に跳ぶ。

 カリツァーの心臓のあたりには、赤、黒、白、黒、赤、黒……と、色を変えていく宝珠が見えた。

 しかしカリツァーの両断された身体は見る間に繋がり、完全に再生する。

 歩き出すカリツァー。

 そしてカリツァーの姿が消える。

 次の瞬間、シルスの眼前に現れる。

 カリツァーの右手がシルスの頭に伸びた。

 身を沈めてカリツァーの右に抜け、同時に剣を横に薙ぐ。

 手応えがあり、カリツァーの腹が血を吹き出す。

 しかしカリツァーはそれでも動じず、右手に生んだ衝撃波の塊をシルスの背に叩き込んだ。

 地面に倒れるシルス。

 カリツァーの手に黒い刀身の剣が生まれ出る。

 カリツァーはシルスに向かい、剣を高く振り上げた。

 その時、その背後に回り込んでいたルートが跳んだ。

 カリツァーに剣を振り下ろす。

 カリツァーは振り向き、左手でそれを受けた。

 そしてルートの剣の刀身を握りしめ、徐々に荷重を加えてその剣を砕いた。

「お前の目的は何だ?」

 ルートが訊く。

「この悪夢を終わらせることだ」

 カリツァーが答えた。

「何だと?」

「人類は知性を失い、野生に戻る。魔物たちは人の知性を持ち、その姿に苦しむだろう。彼らにはもう悲惨と苦痛しか残されてはいない。ならば、その最初の原因たる我れが、今の世代を全て滅ぼす!!」

 ルートはカリツァーが答える隙に距離を取る。

「最初の原因だと? そもそもお前は何故魔物を生み出したのだ!?」

 カリツァーはしばし目を閉じる。

 そして再び目を開くと、少し悲しげに口を歪めた。

 そして心を決めたようにルートに向かって踏み込むと、一息に剣を横に薙ぐ。

 血が飛び散る。

 カリツァーの剣を受け止めたのは、サーヴァの脇腹だった……

 槍の柄が折れ、カリツァーの剣が鎧に食い込む。

 剣はサーヴァの脇腹に達した。

「馬鹿なことはやめろ」

 カリツァーはもう答えない。

 その時、シルスがカリツァーに近づき、渾身を込めて剣を打ち下ろした。

 カリツァーはそれを剣で受ける。

 受けるが……折れる。

「ばかな……」

 カリツァーが呟く。

「俺は目的のために手段を選ばんような奴は嫌いだ! それがどれほど高尚な理念であろうと!」

 シルスが吐き捨てるように言った。

「ならば、虐げられている者を目にした時、お前ならどうする?」

「虐げている者を殺す、それだけだ」

「ならば目に入らない者達はどうなってもよいのか!!」

「だからと言って罪のない者を巻き込んでもいいのか!!」

「よい!!」

「ならば死ね!!」

「何度やっても無駄だ!!」

 シルスはカリツァーの声を無視し、剣を振り下ろしてカリツァーの身体を両断した。

 そしてまた、再生が始まる。

「ギース! 今だ!!」

 カリツァーの後ろに回り込んでいたギースが、両断されて剥き出しになったカリツァーの体内から、宝珠を抜き取る。

 カリツァーの身体は途中で再生を止めた。

 ギースが静かに言う。

「バカヤロウ……時代が求めるのは良識派なんだよ……いつの世もな」

 エピローグ

 あれから永い永い時が流れた。

 魔物の世代は滅び、神話や伝説となった。

 一部には稀に、魔物の姿が遺伝する者達も見られたが、人々の間からは去って行った。

 新しい王達が地上に降った。

 四人の王は四方に散り、世界を四つに分けて治めた。

 戦乱の時代は彼らによって鎮まり、永く平和な時代が訪れる。

 その後には彼らも姿を消し、伝説の中に沈み込む……

 神殿はもう空を飛ばず、あるいは山となり、あるいは海の底に沈んで行った。

 遠い記憶から、人々は神殿に似せて、ピラミッドを作り始める。

 森の中を川が流れていた。

 川岸では二人の青年が釣りをしている。

 一人は黒い衣装をまとい、黒い髪。

 一人は青い衣装をまとい、赤い髪。

 針に魚がかかった。

 黒い衣装の青年の方だ。

「やるな。シルス」

 青い衣装の青年が言った。

 大きい。自慢するシルス。

 青い衣装の青年の針にも魚がかかる。

 さらに大きかった。

「ギース。やるな」

 今度はシルスが言った。

 笑うギース。

 負けじと針を下ろすシルス。

 そこに馬が二頭近づいて来た。

 白い馬には白い戦士の衣装をつけたルート。

 赤い馬には赤い戦士の衣装をつけた、サーヴァが乗っていた。

 シルスとギースは、馬の背に乗った二人に手を挙げて挨拶する。

 笑顔で。

 ルートはキノコの詰まったカゴを差し上げて見せた。

 にっこりと微笑みながら。

 そしてそのカゴを隣のサーヴァに渡し、勢い良く馬から跳び降りる。

 そして川の中に沈み込み、沈んで行く。ぶくぶくぶく。

 サーヴァはそれを微笑みながら見ている。

 ルートが水の上に顔を出す。

 髪を濡らしながら……

 そして大きな魚の尻尾を口にくわえ、にたりっと笑う。

 ちょっと怖い。

 シルスが岸に近づいたルートに、手を差し出す。

 ルートは右手を上げ、掴んでいた大きな魚をシルスに手渡した。

 そして左手も上げ、掴んでいた別の大きな魚を岸に高く投げ上げる。

 あわてて魚の落下地点に急ぐギース。

 ナイスキャッチ。

 ルートは両手を岸につき、上半身を持ち上げると、くわえていた大きな魚が跳ね上がった。

 森の中。

 小さな丸太小屋の側には焚き火があり、大きな鍋がかかっていた。

 ギースが料理を作っている。

 流れる湯気が食欲をそそる。

 その近くにはテーブルがあり、白いクロスがかかっていた。

 テーブルの上には燭台があり、銀の食器が乗っている。

 真ん中には花が飾られて……

 ルートは白いドレスに着替えていた。

 サーヴァも今日は正装している。

 シルスが細長い絨毯を敷き、その上に二人を立たせた。

 サーヴァとルートの結婚式が、今始まる……

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000