母の認知症について
2019年12月、母が脳梗塞で入院し、退院までに最低二ヶ月半かかると言われたのを、寂しがり屋の母の意向を尊重して、二週間で退院させた。
脳梗塞後、母は食欲は入院前と同じ程あったけど、重度の認知症のように頭がおかしくなっていた。
その状態が二ヶ月以上続いた時点で俺は考えた。
脳には糖分が必要なのに、入院先で処方された血糖値を下げる薬が、脳の回復を阻害しているのではないか?
そこで医者には内緒で血糖値を下げる薬はやめて、母には弱いインシュリンの効果があるという、フィリピンの人が日常的に飲んでいるバナバ茶だけを与えた。
すると母の認知症が治った。
2020年4月、脳梗塞後に病院から処方されていた脳梗塞の予防薬の血管を広げる薬と、血液を固まりにくくする薬のせいで、母がトイレで転んで頭を打ったとき、普通なら自然に内出血が止まるレベルの傷(その時の医者の説明)が、上記の脳梗塞の予防薬のせいで出血が止まらず、脳の半分が血で押しやられて死にかけた。
急性硬膜下血腫だった。
(コロナのせいで受け入れ先の病院が見つかるまで、救急車で四時間以上もかかった。)
頭蓋骨を外す手術は成功したけど、コロナのせいで面会も許可されず、電話も原則代わってもらえず、衰弱して行く様子だけを日々伝えられて5週間、今退院させたら絶対に3日で死ぬ、頭部の手術の傷も開いてきている。どうしてもというなら胃瘻(腹に穴を開けて栄養管を通す)の手術をさせてほしいと言う担当医の言葉を丁重に断り、退院させた。
母は衰弱し、左手が微かに動く程度だった。言葉も喋れず、全身赤黒く変色していた。
家に連れ帰ると、母は発作で起き上がりこぼしのように上半身を起こしてはランダムな方向に倒れて色々なものに頭をぶつけようとする。(夜には左手だけが蛇のように元気に暴れまわり、頭部の手術跡を掻こうとする。手術跡の頭皮が開いてきていたので触らせると命に関わると思い、朝まで泣きながら母の左手を抑え込んでいた俺。その後完治。)
俺一人では目を離した隙に母は死んでいるかもしれないと思い、姉に電話して一週間でもいいから手伝いに来てくれと頼んでもあっさり断られ、寝ずの翌日、洗濯やトイレや食事の用意や、目を離さずにいるのは無理だと判断し、姉に再度電話して頼むも、あっさり断られた(縁切ろうかと思った)ので、母の周りにある硬そうなものに片っ端から柔らかい布を巻いていき、テープや紐で縛り、ガラスにはインパクトドライバで板を打ち付けた。。
(おかげで二日目の夜には、コンビニに走って買ってきたたまごサンド(2個入りの内の一つ)を食べさせることが出来た。母の退院から十日間は俺は寝ていない。)
退院直後に水を飲ませると飲んでくれたので、そこから三週間程で、母はイスに座って一人で食事できるようになり、一人で歩行器で歩けるようになった。
面倒くさがりで、めったに本気にならない俺が、全霊をかけた。
退院直後から、医者が処方した薬(血圧降下薬、血液を固まりにくくする薬、血糖値を下げる薬)はやめた。
そもそも、まともに量が食べられない状態で、生物のエネルギー源である血糖値を下げてどうすると考え、バナバ茶も飲ませなかった。
退院から三週間程で、肌の色も普通に戻り、血圧も110~120の間で安定し、大福餅とか、ケンタッキーフライドチキンとか、ピザとか、何でも食べれるまで回復した。
食事の量が入院前のレベルに戻ったので、フリースタイルリブレという、血糖値を読み取る装置を購入し1週間程血糖値の推移を見て、以前のように血糖値を下げる効果のあるバナバ茶を飲ませることにした。
すると血糖値も健康な人のレベルに落ち着いた。
この頃、夜虫歯が痛いとつい口走って寝た俺に気を使って起こさずに、一人でトイレに行こうとして母が転んで左の上腕を痛めた。
俺は紙おむつをハサミで切って母の腕に巻き、その上から巻きずしの巻き簀を巻いてテープで止めてかかりつけの医院に連れて行った。
このとき看護師さんから、北野病院から聞いていた話と違うと驚かれ(母の退院に合わせて在宅医療を申し込んだのに、北野病院の担当医に横槍を入れられて断られ、仕方がないから俺のやり方で母の看護をした経緯があった)、母の血圧を測ってもらっても120位で普通だった。
幸い母は骨折していなかった。
俺はその日に指で虫歯を抜いた。
退院後二ヶ月も経つと、俺が手伝わなくても、一人でツッカケを履いて玄関を出て、一人で庭を歩いたり、一人でトイレに行けるようになった。
母が寝たきりの間、俺は母を一時間に一度位、トイレまでおんぶしていた。
このとき母をおぶってバランスを崩し、落としてなるかと右足を開いて踏ん張ったら指先を硬いものにぶつけてしまい、右足の第二指の爪が剥がれた。まあこの程度気にしない。
そんな矢先、母は老人が罹りやすいという帯状疱疹(診断はかかりつけの医院)になり、神経痛で一ヶ月寝たきりの状態が続くと、上半身も起こせないほど弱っていた。
仕方がないので俺はまた魂を削り、そこから三週間で、母は再度俺が手伝わなくても、一人でツッカケを履いて玄関を出て、一人で庭を歩いたり、一人でトイレに行けるようになった。
喜んでいたら、母は洗い物をしていた俺を首から下げたブザーで呼ばずに、手間をかけさせないように一人で歩いてきて転んでしまい、そのショックでまた帯状疱疹の神経痛で三週間寝たきりの状態が続いた。
このときには一度目の神経痛より軽かったので、すぐに治りそうだと安心していたら、その日は歯医者の定期検診で、母は朝からやる気を出して、一人でイスに座って食事をし、その後3~4時間イスに座ったままテレビを見ていた。
ときおり大丈夫かと問うと、笑顔で大丈夫だと言うので母の判断に任せていた。
このときまで食欲もあり、頭も会話もしっかりしていた。
しかし疲れたのか、母は歯医者に行く途中の車椅子で眠ってしまった。
寝起きの母は上手く喋れず、口も大きく開かない。
母の検診後に俺は院長先生に呼ばれ、「何かあったときうちの責任問題になるから次からはキャンセルしてくれ」と言われて母の代わりに腹が立ったけど穏便に対応して、もう行かないことにした。
母は歯医者でよほどショックなことがあったのか、その日からふさぎ込んで元気がなくなり、喋らなくなり、運動しなくなり、あまり食べなくなり、神経痛も悪化してほとんど動けなくなった。
その日から間もなく、母は重度の認知症になってしまった。
その状態が回復しないまま一ヶ月が過ぎた頃、俺はこう考えた。
母の食事量が、以前は一日4食プラスおやつ3食くらいが普通だったのに、この頃は一日2食で量も少なかったので、もしかしたら以前の脳梗塞のときと同じように、脳に栄養が足りていないのではないか。
それが今日。
なので今日からバナバ茶を控えてみよう。
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