日本人の国民性
【日本人の国民性1・個人主義の日本人と全体主義の中国人】
タイトルを読んで「逆では?」と思われた方もいるでしょうか。
台湾の作家柏楊の著『醜い中国人』の中に、『日本人は一人だと豚のようだが三人集まると龍になり、中国人は一人だと龍だが、三人集まると豚になり虫になる』と書かれています。
(毎一个単独的日本人、看起来都象一条猪、可是三个日本人加起来就是一条龍、日本人的団体精神使日本所向無敵
毎一个中国人都是一条龍---但是三個中国人加在一起--三条龍加在一起、就成了一条猪、一条虫)
柏楊さんの主張は、中国人は集団だと統率が取れず、個人だと統率力(リーダーシップ)があり、日本人は集団だと統率が取れ、個人だと統率力がないということです。
これは現在の日本人と中国人の国民性を表している言葉だと思います。
では日本で出る杭の打たれるようになったのはいつ頃でしょうか。
戦国時代あたりまで遡ると、戦場の先駆けや一番槍は美徳とされていました。
明治の歴史家山路愛山の『愛山文集』(明治41)にこうあります。
『明(みん)人当時の日本戦法を評していわく「軍に法なく、人々おのずから戦をなす」と。これ朝鮮における日本軍隊が統一なく、節制なく、各陣各独立してこれを統率すべき一個の中心なかりし弱点を看破したるものなり。加藤氏の遺老もまた当時の明軍を評して言いき、「大明(みん)の備立は大軍を自由に取廻すことあたかも神変のごとし、日本においてついに見ざる所なり」と。これ統一と節制とにおいては明軍の遙かに日本軍に優れたりしをいえるなり。しかも日本軍の大に敗れず、明人の大に勝たざりしゆえんのものは何ぞや。日本人の戦法はたとい大陸的の運用法に拙なるにせよ、なおこれを心に験し手に得たる実際の工夫にいでしものにして、明人の空疎なる机上の議論と異なりたればなり。』
当時の中国人の戦い方は、伝統的な軍法に従い規律を持って臨んだのに対し、日本は臨機応変の個人主義をもって臨みました。
政治家や会社のトップがだらしなくても、つまり頭がいなくても『人々おのずから戦((仕事))をなす』所は日本人の変わらない国民性なのかもしれません。ただ柏楊さんのおっしゃるように、頭になろうとする人が少ないだけで。
【日本人の国民性2・民度の高い中国人と民度の低い日本人】
はたして中国の公害問題は改善されて行くでしょうか。
中国の急速な経済発展により犠牲にされてきた倫理面は、日本のように持ち直すことが出来るでしょうか。
日本も明治以降の工業の発展と共に、酷い公害の歴史を持ちます。
しかしそれも1960~70年代を最後に、日本の環境はとても綺麗になりました。
これは当時の漫画やアニメ、特撮ヒーロー物等で、公害問題を頻繁に取り上げていたことも影響しているのではないかと思います。
また中国人の民度も昔は高かったようです。
明治39年(1906年)出版の『最近朝鮮事情』(荒川五郎 著)にこうあります。
『また支那人は朝鮮内地至る所に行商をして居るが、その品物の値段でも決して掛値など更にせないのみか、いかに辺鄙の山奥でも、皆居留地の本店と同様の値段で売りさばいて居る、その行商者が自分一己の私利を考えないで、一般の信用を重んじ誠実勉強、互いに連絡を取り堅く団結して居る有様は、実に感心のほかは無い。
然るに日本商人は残念なことには、共同一致して物事をするという団結心が乏しく、先々のためを考えず、己れ独り利益を占めようとかかって、ややもすれば抜け駆けの卑劣運動をしたりなど、商業上互いに連絡が確実に保たれて居ないから、とかく信用を傷つけ一般の損害となることがありがちである。』p180
これも現在の日本人の倫理観と逆転していますね。
【日本人の国民性3・時間にルーズな日本人】
現在の日本人の国民性とされる、集団主義と時間に対する正確性が定着したのは、ナチスドイツを手本とした第一次大戦以後ではないかと思います。
聖徳太子以来の『和をもって貴しとなす』は、集団主義と時間に対する正確性とはまた違うものです。
1942年の『ナチスの女性』(波多野繁蔵 著)という本には、日本人の著者がナチスドイツ国民の時間に正確なことと比較して、日本人は伝統的に時間にルーズだと書いています。
『日本は昔から「日本時間」と云って午前十時を必要とすれば少なくとも午前九時集合と云う振り出しをしておいて十時頃にポツリヽと顔を見せ、愈々開会するのが十一時少し廻った頃である。』p110
(究極超人あ~るの光画部時間を思い出します。)
また日本の主婦もナチスドイツ時代の女性に影響を受けたのかもしれません。
『(ドイツ女性は)朝になると電車やバスを利用して手提げ籠をさげて市場へ出かけて行く。そして毎朝の新聞に出る食料品の値段表によって一銭でも安い店へヽと押しかけるという始末であり、
中略
又月初めに、一ヶ月の経済の予算を立てゝ置くが、此の予算中の一割は最初から貯金して置くが、買物の上手の為に残ったお金も月末になっては三円五円と貯金通帳に入れると云う風である。』p107
【日本人の国民性4・変化を続ける日本人】
結局の所、日本人の国民性とは変化を続ける所だと思います。
日本はいつも変化していて、それでいて日本らしさを失わない、稀有な文化だと思います。
縄文後期に弥生文化が流入し、遣隋・遣唐使で中国の文化が流入し、インドからは仏教文化が流入し、明治には西洋文化が流入し、第二次大戦が終わると米国文化が中心になり、その度に風俗に大きな変化をもたらしますが、日本は日本らしさを失いませんでした。
仏教が伝わった頃は、日本固有の神道が廃れるのではないかと危惧され、西洋礼賛の明治初期には日本固有の文化が廃れるのではないかと危惧され、アメリカ礼賛の戦後初期には戦前の日本らしい文化が廃れるのではないかと危惧されましたが、日本は今も日本らしいままです。
ちょんまげも和服も古代にはなかった新しい文化です。
昔は多くの家庭にあったちゃぶ台も、江戸時代には一人1膳が当たり前で、家族でテーブルを囲む習慣のなかった日本人が、西洋の真似をして家族でテーブルを囲み食事をしようという趣旨のものでした。
私も今の若い世代に対して理解できないと思うことがあります。
でも多分、千年後も日本はきっと日本らしいままです。
日本の未来はきっと大丈夫。
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