日本における電話の初め

大正3年の『電話機使用問答(第三版)』によれば、日本に電話機が伝わったのは明治10年で、アメリカ人アレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明した1876年(明治9)の翌1877年に日本に輸入されました。

さらにその十年後、明治23年に日本の電話事業が官営で開始され、明治34年には全国の電話加入者の数は1万8670余、大正3年版『電話機使用問答(第三版)』執筆当時の電話加入者は3万7062に増えています。

発明者のアレクサンダー・グラハム・ベルも、明治31年日本に電話事業の視察に来たそうです。

日本の工部省に初めて電話が届いたのが明治10年、同年11月東京-横浜間で通話試験が行われ、翌明治11年6月には日本で初めて二個の電話が製造されました。

しかしベル型電話は音声が微弱だったため、明治16年にはエジソン型に切り替えています。

これは明治11年にトーマス・エジソンが発明したものでした。

その後電話機は各国の改良型を取り入れながら、明治20年(1887)東京-熱海間の電話線工事が終わり、明治22年(1889)1月1日、ついに民間向けの電話通信サービスが開始されます。

しかしそのサービスはすぐに中絶され、翌明治23年改めて東京-横浜間の民間向けの電話通信サービスが開始されました。

この時の加入申込者は東京で237人(開通したのは179人)、横浜での申込者は48人(開通45人)でした。

明治26年(1893)には大阪-神戸間に電話が開通し、大阪の申込者は377人(開通141人)、神戸では申込者142人(開通74人)でした。

電話サービス開始の初めは誰も興味を示さず、逓信(ていしん)大臣が官邸に商工業者を集めて電話サービスの利便性を説明したり、電話に加入した者には新聞紙面に住所氏名が掲載される特典もつけたそうです。

その後利用者数は増え続け、明治28年(1895)末には加入者2800余、未設の申込者数は4100に達したそうです。

江戸時代が終わって僅か20数年後のことです。

明治31年(1898)東京-大阪間開通

明治38年(1905)東京-佐世保間開通

大正10年の『日本擬人名辞書』によれば、電話交換手の若い女性を、『モシモシ姫』や『電話式部』と呼んだそうです。

『【モシモシ姫】電話の交換手たる若き女を言う、日々「モシモシ何番へ」の取次をなすのみなるをもって名づく、電話式部といえる異名もあり』p49 

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000