武士道について思うこと
新渡戸稲造の『武士道』には、武士道を日本人に与えられた旧約(イエス以前)として、理性的に自殺をするのが武士の特色みたいに書かれていますが、中国の戦国時代(紀元前)の聶政(じょうせい)は、刺客として恩義を受けた高官の仇を討ったあと、身内に誄(るい)の及ぶのを懼(おそ)れ、自分の顔の皮を剥ぎ、目玉を刳り貫き、腹を割いて腸をつかみ出し、身元が分からないようにして死にました。
また同じく中国の戦国時代の予譲は、主であった智伯の仇を討つために、炭を飲んで喉を潰し、乞食に身をやつしての趙無恤(ちょうむじゅつ)暗殺に失敗して捕まると、自分をかつて重んじてくれた智伯を思い、「士は己を知るものの為に死し、女は己を愛するものの為に容(かたちづく)る」と語り、趙無恤の衣服を借りてそれを斬り、これで主君に顔向けが出来るとして、その場で自殺して果てました。
鍋島藩の山本常朝が記した『葉隠』中の有名な言葉、「武士道というは死ぬことと見つけたり」も、山本常朝出生以前に生きた宮本武蔵の『五輪書』では、「おおかた武士の思う心をはかるに、武士は只死ぬという道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也。死する道においては、武士ばかりにかぎらず、出家にても、女にても、百姓以下に至るまで、義理をしり、恥をおもひ、死する所を思いきる事は、其差別なきもの也」とあるので、自殺を侍独自の美徳とする考えには疑問があります。
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