大正10年発行の彙報
大正10年発行の、全国経済調査機関聯合会の彙報が中々面白かったです。
内容は海外駐箚財務官を務めた大蔵省財務官の森賢吾が、大正10年9月21日の銀行集会所で行った講演を収録したもので、パリ講和会議の全権委員を務めた森賢吾が当時の状況を語ります。
第一次大戦後の敗戦国ドイツの賠償金額は、イギリスとフランスが主導して決め、フランスは被害の大きさからドイツから搾り取ろうとし、イギリスは現実路線でドイツの支払い能力内に収めようとします。
結果イギリスの現実路線が採られ、ドイツに対する賠償金額は42年払いの2690億マルク(30億マルク×5ヵ年。60億マルク×5ヵ年。70億マルク×32ヵ年)でどうかとドイツに提案されますが、ドイツの大蔵大臣(後に宰相)のヴィルトはこれを飲まずに一旦決裂します。
ドイツの賠償金額が中々決定しないまま、結果的にドイツの賠償金額がいくらになるか未定なので、まずは賠償金額の連合各国の取得割合だけを決めておくことにしました。
これにはイギリスが国別交渉の主任になり、フランスが5割、イギリスが2割2分、イタリアが1割、ベルギーが8分、日本並びにポルトガルが7厘5毛、残りの6分5厘の内、セルビアに5分を割くなら、残りの国は1分5厘を分け合うということでした。
(計算が合わないので、多分講演者は2分計算違いをしている。)
この交渉は、当初は非常に難しく思われていましたが、実際にはこの賠償金の取得割合の決定は円満に行われたそうです。
その後倍賞金額は1320億マルクでドイツと合意しました。
この全国経済調査機関聯合会の講演の席には、第二次大戦で大東亜大臣を務めた青木一男も出席しています。
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