ナチスドイツ時代の女性の社会進出と少子化対策

2015-10-01 04:34:28

第一次大戦の敗北による、戦勝国からの無理な賠償金の要求により、ドイツの経済は壊滅した。しかしそこから僅かな期間でドイツの経済が復興したのは、ナチスドイツが人口増加と、女性の社会進出を促すことに成功したからかもしれない。

当時日本の女子義務教育が6年だった時代、ナチスドイツでは女子の義務教育は6歳から18歳までの12年だった。

小学校は、9歳までの初等補修基礎級と、13歳までの初等教育上級に分かれていた。14歳から18歳までは職業訓練学校で、これらの学費は無料とされた。

18歳で義務教育を終えた女子は、その九割が職業に就いたという。

また少子化対策としては、ナチスドイツ時代の母親は、子供を四人以上産めば銅勲章、五人以上で銀勲章、八人以上で金勲章を与えられ、軍人と同じように表彰された。

さらに家事に疲れた母親のために、ムッターハイムという保養施設が風光明媚な場所に作られた。

ムッターハイムではスポーツ、映画鑑賞、音楽鑑賞等を楽しみ、数週間の保養の間の家庭の仕事は、婦人団体の団員が代わりに行う仕組みになっていた。

日本もドイツも、戦争しなくても発展したんじゃないだろうか。

現在日本は、当時のドイツと同じように、人口増加と女性の社会進出による経済の復興を目指している。


参考文献

1942年の『ナチスの女性』(波多野繁蔵 著)

1943年刊行の『独逸の国内事情に就いて』(飯島正義 著)


ちなみに『独逸の国内事情に就いて』を読んでいたら、隣組制度は昭和13年時点の日本にはなく、ナチス・ドイツが隣組制度を用いていて成功しているように書いてあった。

『その当時日本には隣組制度はありませんでしたが、ドイツに参りました時に既に隣組制度が立派に出来て居りました。』p2

しかし日本にもたしか江戸時代にはあったはず。あと秦の時代の中国にも。そう思いwikipediaの隣組の所を見ると、明治以降の日本での制定は、昭和15年9月11日(決定は前年)の内務省訓令からなんだね。

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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