名君大久保忠真
2013-05-07 05:27:52
小田原藩の7代目藩主大久保忠真という人は、身分制度の厳しかった当時、百姓の二宮尊徳を田舎から挙げて、藩政改革を任せた名君として知られます。
大久保忠真は大阪所司代、京都所司代を経て、老中首座になります。
大正8年刊の『彰道院侯四箇条』には、旧小田原藩士岡本隆徳翁の談として、こんな逸話を載せます。
大久保忠真が老中になって間もなく、連判の文書が回って来ました。
これは内筆という職が幾度も推敲を重ねた上で文章を作り、それを右筆という職が大奉書に清書し、それを老中職の者に順番に見てもらい、内容を確認したという判子を順に押して貰うものでしたが、大久保忠真は新人なので、それが最後に回って来ました。
先輩の老中達は既に内容を読み、確認の判子を押しています。
しかし大久保忠真は文章を読むと、判子を上下逆に押してしまいました。
新人の大久保忠真は一人で恐縮しています。
これに右筆達は驚きました。
新人の老中なら、なおさら間違いはしないかと慎重になるのが普通なのに、大久保忠真はどれだけ軽はずみなのかと罵りました。
右筆にしてみれば、文章を書き直して老中達に判子を貰い直すのはとても手間のいることなので、右筆は古参老中に大久保忠真の嫌味を言いながら書き直すことにしました。
しかし右筆が小言たらたら書き直してみると、実は右筆のミスから一文字足らず、そのせいで文章の意味が逆になっていることに気が付きました。
右筆は深く大久保忠真に感謝しました。
当時大久保忠真のような新参の老中は、内筆や右筆にイジメられるのが普通だったそうです。
しかしこの事件により、「さすがは松平越中の鑑識(めがね)に叶いし若殿」といって、殿中の大評判になったということです。
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