不老不死の理論

2010-09-16 03:45:04

仮に、生命の本質を呼吸とするなら、循環そのものが生命ではないかと思います。

エジプト神話にもバーとカーという二種類の霊魂が説かれますが、古代中国の魂魄(こんぱく)も、二種類の霊魂を表します。

魂魄の魂とは軽い気の事で天に昇り、魂魄の魄(はく)とは重い気の事で地に沈みます。

地球に喩えれば、魂は大気を、魄は大地を表します。

また魂は陽の気の事で、火に喩えられます。

魄は陰の気の事で、水に喩えられます。

そして魂は呼気の事とされ、魄は吸気の事とされます。

この陽気と陰気が一つになったときに生命が生じるというのが、淮南子等に載る古代中国の生命に関する哲学です。

生物の多様性は、この魂魄の割合により現れるそうです。

易経によれば、全ての物の始まりの場所である太極から、四象が生じます。

四象とは、陰陽二気を四つに分割したものです。

それは老陽と、老陽から生じる少陰、そして老陰と、老陰から生じる少陽のことです。

中国の太極図に、黒い勾玉と白い勾玉が互いの尾を追いかけて廻り、黒い勾玉の中に白い点が描かれ、白い勾玉の中に黒い点が描かれているあれです。

陰気と陽気は呼吸のことでしたね。

つまり呼気と吸気の融合が、生命の本質だと考えるわけです。

日本の神道にも、四魂というものがあります。

和御魂(にぎみたま)・荒御霊(あらみたま)・奇御魂(くしみたま)・幸御魂(さきみたま)。

魂には四つの種類があるという考えです。

古代インドには心臓の四方位を守る、天国の四人の門番と呼ばれるものがあります。

プラーナ(吸気)・アパーナ(呼気)・サマーナ(腹気)・ヴャーナ(体気)。

ウパニシャッドによれば、このうちサマーナとヴャーナは呼吸のニ気から生じるとされます。

古代中国の四象と同じですね。

太陰(吸気)、太陽(呼気)、少陰、少陽。

少陰と少陽は、太陰(吸気)と太陽(呼気)から生まれます。

聖書では四つの川の流れるエデンの園が、これに当たるのではないでしょうか。

エジプト神話だと、ホルス、セト、トト、ソプドゥの四神が東西南北の四方位を支え、天神・地神の間にあって天地を支えるのが大気の神シュウです。

他にも世界中の神話にある四つのものとは、これと同じものだと思います。

DNAの四塩基や、螺旋構造、ミトコンドリアの呼吸も調べてみると面白いかもしれません。

以下は世界中の神話に現れる呼吸に関する神話を、自分なりに読み解いてみたものです。

まず自我とは、呼気と吸気の間にあり、呼気と吸気の円環、つまり円周上を移動しています。

それは別の角度から見れば、螺旋です。

太陽のように、呼気と吸気の円を巡っています。

吸う息の終わりは吐く息の始まりです。

螺旋上の一つの円環を数字で表すなら、一つの円環を10等分したときに、ある人の基点は0にあり、-5~+5の間を行きつ戻りつしているかもしれません。

しかし別のある人は、螺旋階段をより昇った場所に、基点があるかもしれません。

または逆に、螺旋階段をより降った場所に、基点がある人もいます。

それは-15~-5の間なのかもしれませんし、+20~+30の間かもしれません。

人が螺旋階段上の何処を基点として生まれてくるのかは、人それぞれです。

そしてその螺旋状の円環は、生まれてから死ぬまでに、ほとんど変わることはありません。

これが個人の生まれ持った鋭敏さ(高い知性)と、愚鈍さ(低い知性)とを分けます。

より階段を昇った状態で生まれた魂は、より階段を降った状態で生まれた魂よりも、相対的に高い知性を得ます。

そしてより階段を降った状態で生まれた魂は、相対的に物質世界とより同化しています。

ほとんどの人は生まれてから死ぬまでに、一つの円環を自分の個性、限界として、それよりも上昇も下降もせずに一生を終えます。

神話の時代に存在した哲学とは、生まれ変わりの輪廻のたびに変化する、その魂の位置を、生きながらにして移行する技術のことだと思います。

魂は物質(魄)と融合して、肉体を形成します。

魂が螺旋階段を下降して生まれた人は、物質世界とより融合しているので、肉体に対する影響力は希薄です。

魂が螺旋階段を上昇して生まれた人は、物質世界からより離れているので、肉体に対する影響力を増します。

螺旋階段を昇れば昇るほど、肉体に対する影響力は増すので、肉体に投影されるイメージが歪(いびつ)なものだと、肉体は歪に歪みます。

肉体に投影されるイメージを制御する方法が、言葉(呪文や祝詞等)の本来の意味だと思います。

より階段を昇れば物質世界との同化から離れ、それまでは見えなかった世界が見えてきます。

階段を昇る毎に、その視野は広がります。

でも人に許されているのは、その段よりも下の世界を見通すことだけです。

後ろを振り向いて、その段よりも上の世界を見通すことはできません。

階段を高く昇っていれば、肉体の一部が損壊しても、その部分に新しいイメージを投影することで肉体は再生します。

新しいイメージを投影することで、不老も実現できます。

不老とは変化を止めることではなく、常に同じ姿に変化し続けることですから。

でも階段を昇るのは、良いことばかりではありません。

上手く制御できないと、肉体や精神はすぐに崩壊してしまいます。

階段を昇れば昇るほど、制御は難しくなります。

魂の位階が高い位置に生まれても、制御の方法を知らないと、肉体は醜く歪んでしまいます。

魂がどうとかいうと怪しげですが、ここで語っている魂とは呼気のことです。

古代中国では、人は魂魄(こんぱく)の融合から生じ、魂は陽の気で、天に昇るほどに軽くて澄み、魄(はく)は陰の気で、地に下るほどに濁りて重いと説かれます。

呼吸の呼気を火(陽気・魂・円)、吸気を水(陰気・魄・方)として表現する道家の思想です。

東洋思想の『気』とは、ギリシア語での『アウラ』(原義は息や風のそよぎで、人間の身体を包んでいるとされる光彩=オーラ)と同じものを指すのかもしれません。

またギリシアでは魂(プシュケー)は、息という語源を持ちます。

インドのウパニシャッドに出てくるアートマン(真我)も、呼気の意味です。

息を吹きかけることで生命を与える神話は、聖書にも、インカにも、インドにもあります。

呼気は火に喩えられ、吸気は水に喩えられます。

これは口を陽の門(天の岩戸とか)に喩えて、陽の門の外から入ったものは水に喩えられる陰気になり、陽の門から出たものは火に喩えられる陽気になるとし、鼻を陰の門(黄泉比良坂を塞いだ大岩とか)に喩えて、陰の門から入ったものは火(陽気)になり、陰の門から出たものは水(陰気)になるとしてもよいのではないでしょうか。

(鼻からの呼気と吸気、口からの呼気と吸気の『四つの物』への火水の当てはめです。)

易においては点が一つ(奇数)で陽を表わし、点が二つ(遇数)で陰を表します。

易は気の哲学であり、気が呼吸や魂魄と同義であることを考えれば、陽は口で、陰は鼻を表わすと考えてもいいかもしれません。

ちなみに易においては、地の気が上昇し、天の気が下降し、真中で交わる泰(たい)という卦が最良の卦だとされていて、易占の看板には必ずこの卦が描かれています。

要は生きるために毎日取り込んでいる、陰気である物質世界の食物以上の陰気を吐き出していれば、死なないということです。

淮南子精神訓より

『吹呴呼吸、吐故納新、是養形之人也。』

吹呴呼吸の吹呴は息を吐くこと。

吐故納新の故は古い空気の意で、古い空気を吐くこと。

是養形之人也=これらは形骸を保ったまま長寿を求める人のすることだ。

(まあ科学的には、人の寿命が尽きるのは、細胞分裂の度に短くなるテロメアが原因なんでしょうけどね。)

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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