確率が世界を支配している
2013-12-04 14:38:33
二兎を追う者は一兎をも得ずと言うが、それはたまたま一兎を追い、結果一兎を得た者の言葉に過ぎない。
人によっては二兎を追う者はどっちかを得る。
また人によっては二兎を追う者はどっちをも得る。
七転八倒の人もいれば、七転び八起きの人もいる。
同類相憐れむ人もいれば、同族嫌悪の人もいる。
仏教ではこれを善因善果、悪因悪果、異熟果という。
善因善果というのは、善い行いをしていたら、善い結果になったということ。
悪因悪果というのは、悪い行いをしていたら、悪い結果になったということ。
異熟果というのは、善い行いをしていたら、かえって悪い結果になったり、悪い行いをしていたら、かえって善い結果になったということ。
結局、結果を見るまでは何か善かったか悪かったかなんて分からないということ。
キリスト教では、善人が善い結果になれば神の慈悲と呼ばれる。
そして善人が悪い結果になれば、神の試練と呼ばれる。
神はサタンを使って善人に試練を与え、それでも神を信じるかどうか、善人を試す(旧約聖書ヨブ記)。
つまり善人には、善いことも起これば悪いことも起こりえる。
正義は必ず勝つわけでもなく、勝つこともあれば負けることもある。
悪は必ず滅びるわけでもなく、勝つこともあれば負けることもある。
人間万事塞翁が馬。
人生は糾える縄のごとし。
塞翁は、悪いことが起きても悲しむべきではないし、善いことが起きても喜ぶべきではないと説く。
その結果がどうなるかは誰にも分からないから。
陰陽思想では、陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になると説く。
結局、世界は確率に支配されている。
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