お彼岸とクリスマスは太陽繋がり
2010-09-05 00:05:47
彼岸とは本来「悟りの境地」の意味で、サンスクリット語だとニルヴァーナ(涅槃)を指すんですけど、多くの人は先祖供養の日だと思っていますよね。
死んだら仏になるという浄土思想の影響です。
位牌(いはい)は元々儒教のお葬式に用いていたものを、仏教で取り入れたようです。
初期には釈迦を供養するために、釈迦の骨を小さく砕いてたくさんの塔にそれらの破片を一つずつ収めていましたが、たくさんの塔を建てるにはとても釈迦の骨だけでは足りませんでした。
そこで今度は水晶を仏舎利(ぶっしゃり=釈迦の骨)に見立てて多くの仏塔を建立しました。
聖徳太子が仏舎利(釈迦の骨)を握り締めたまま馬小屋の戸で生まれたという伝説は、水晶を握り締めていたのかもしれませんね。
握り締めていたのが骨だと誰の骨だか分かりませんからね(ちょっとだけ皮肉)。
釈迦の骨を収めた仏舎利塔(ぶっしゃりとう)を、サンスクリット語ではストゥーパと呼びますが、死者の板碑(いたび)の墓も、漢訳仏典経由で卒塔婆(そとば=ストゥーパの音写)と呼ぶようになりました。
この卒塔婆の石製のものが墓石です。
墓に遺体を収めて供養するようになったのは、本来は悟りの境地の意味であった彼岸を、後の思想家がそれは死後の世界のことだと言い出したからです。
死後の世界に旅立つことは、彼岸(涅槃)に旅立つことと同義だという認識から、死者を仏と呼ぶようになり、本来の仏(悟りを得た者)である釈迦と同じように、死者を供養することが行われて来ました。
中国から伝えられた二十四節気の内、一年の内で日照時間のもっとも短くなる日を冬至と呼び、もっとも長くなる日を夏至と呼びますが、その二つの中間、昼と夜の長さの拮抗する日を春分と秋分と呼びます。
この春分と秋分の日の前後七日を彼岸と呼びます。
ちなみに古代ローマの国教であったミトラス教では、太陽の光がもっとも力を失う冬至の日に、太陽神ミトラスは死んで復活します。
この太陽神の宗教は、ローマ皇帝アウレリアヌスのパルミラ遠征の時にローマに入り、後にローマの国教の地位を得たキリスト教は、その死と復活(冬至)という性質の類似から、太陽神ミトラスの誕生日(冬至の祭り)である12月25日を、イエスの誕生日(クリスマス)としました。
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