ファンタジー創作小説【フロウ】後編
滑らかな金属質の部屋。
薄暗い。
中央には、金属製の寝台に仰向けに寝かされた人影。
寝台から出た金属の輪に、首と手足を拘束されている。
人影が呻いた。
アトラ国の王サーヴァだった。
「息苦しい……生きているのか……ここは?」
金属質の床に、硬質の足音が響く。
側に男の姿。
「気がついたか」
男が覗き込む。
「誰だ……」
「我が名はカリツァー、魔王を創り出せし者」
「お前が……俺を……どうするつもりだ?」
カリツァーは自らの剣の柄に手を添えて言った。
「こうするのさ」
そして剣に気を込める。
「ぐあ!!」
サーヴァの左腕が潰れた。
「何を……」
額に汗が滲み、呻くように呟く。
「伝説の剣の継承者も、剣がなければただのガキだな」
そう言ってさらに気を込め、サーヴァの右腕を潰す。
歯を食いしばり、痛みに耐える。
「次は足だな」
両足を潰す。
「な、ぜ……」
「次は腹か」
「やめて、くれ……」
「それで王とはよく言えたものだな」
サーヴァはその言葉を聴き、びくっと身体を震わせた。
「つまらんプライドだ」
「わかっているさ!!」
自分自身に腹を立てる。
カリツァーは無言で剣を抜き、サーヴァの上に振り上げた。
サーヴァが葛藤の声を上げる。
ぽつりとカリツァーが言った。
「潔い死に際を見せられぬ自分に、腹が立つのだろう?」
「俺は誰も救えなかった。殺すがいい! 胸を張って死んでゆけるような者ではない。惨めな死に様が相応しい」
「そうでもないさ」
「お前が魔王を創ったと言ったな……」
「そうだ」
「何故!?」
「全ての者を救うために」
「人々を魔物に変えて、どうやって救うというのか!」
「続きは傷を治してからだ。本来の姿を思い描け……」
そい言うとカリツァーは、赤の剣でサーヴァの身体に触れた。
眼に見える速さで傷が治って行く。
さらにカリツァーが気を込めると、サーヴァの戒めが音を立てて砕けた。
「我れは、失敗したのだ」
その言葉を待っていたかのように、滑らかな金属質の床が盛り上がり、三体の人型が踊り上がる。
色は赤黒いが、水銀を捏ねて作ったようなそれは、異様な動きを見せた。
カリツァーは振り向きざまに剣を抜き放ち、跳びかかってきた一体を両断した。
斬られた一体はそのままの姿で床に転がり、残りの二体は左右に散る。
寝台から飛び降りるサーヴァ。
右の一体が手首よりも先を赤黒い長剣に変化させた。
左の一体は手首の先を無数の糸に変化させる。
カリツァーは長剣を持つ一体に向かい、ゆっくりと歩き出した。
後ろからは無数の糸が乱れ来る。
半身振り返り左手をかざすカリツァー。
気合と共に掌から衝撃が発し、無数の糸ごと、金属の身体が壁にめり込み潰れる。
手首を長剣にした一体は、背中から壁に溶け込もうとしていた。
カリツァーは踏み込んで敵の長剣を根元から折り、さらに赤い刀身を壁に突き入れる。
息も乱さずに。
今しがた斬り落とした長剣を拾い上げ、サーヴァに赤の剣を柄から差し出す。
「受け取れ」
動揺するサーヴァ。
「その気性には炎の剣が相応しい」
「あなたは……」
*
シルスは不思議な装置に囲まれた部屋をいくつも通り過ぎた。
閉ざされた扉は掌を当てるだけで破壊される。
そこから生じる衝撃波と共に。
広い部屋の中、扉を砕いたその向こうに、大きな獣が潜んでいた。
その身体は赤黒い金属で出来ている。
シルスが足を踏み出すと、巨大な獣が跳びかかった。
同時に、床から無数の金属質の触手が生え、シルスの身体に這い登る。
次の瞬間、部屋の全てが凍った。
空中にあった獣も凍りつき、慣性のままにシルスの身体に飛び向かう。
それはシルスに触れた瞬間、シルスを縛めた触手と共に砕け散る。
凍てついた部屋は美しい霜に包まれていた。
*
赤の神殿の内部通路。
薄暗い通路に硬質の壁。
澄んだ靴音が響く。
カリツァーが振り返って言う。
「何故ついて来る?」
「俺にはどのみち、帰る場所がない」
「邪魔だ」
振り返り、そのまま進みはじめる。
後を追うサーヴァ。
「剣を。この剣はあなたのものだ」
「必要ない」
「しかし……」
「見届けたいなら、手放すな」
赤の剣を手にし、納得のいかない顔で後に続くサーヴァ。
不意に、眼のある金属球が壁から飛び出した。
その数七。
金属の眼が次々と輝く。
カリツァーが点から点へ移動する。
速すぎて移動の軌跡が見えない。
カリツァーの姿が消えた後を、金属球の発する光が薙ぐ。
カリツァーの姿が現れると同時に、金属球の眼が長剣に刺し貫かれる。
サーヴァを襲う光線は、サーヴァの身体に触れる前に、直前の空間で霧散する。
カリツァーの動きに見とれていたサーヴァが、あわてて剣を構えたときには、金属球は全て床の上に転がっていた。
その瞳を貫かれて。
「足手まとい、だな……」
サーヴァがぽつりと呟く。
「ついて来い」
カリツァーが振り向きもせずに言った。
「見届けてやるさ」
*
赤黒く滑らかな通路の壁に、カリツァーとサーヴァの姿が映る。
「魔王とは強いのか?」
サーヴァが訊く。
「強いな」
カリツァーが答える。
「勝てるのか?」
「さあな」
「負けたら?」
「お前が倒せ」
「分かった……」
壁に映った影が動きを変える。
カリツァーとサーヴァの姿を写したまま、左右から二体づつ、合計四体が飛び出した。
カリツァーは右の自分を斬り、右斜め後ろのサーヴァを貫く。
サーヴァは左の自分を斬り、左斜め前のカリツァーを貫く。
二人の動きはほぼ同時だった。
ニヤリと笑うカリツァー。
不敵な笑みを返すサーヴァ。
*
カリツァーとサーヴァは今、左回りの螺旋階段を登っていた。
「カリツァー、伝説の剣とは何だ? なぜあなたには剣が不要なのだ?」
サーヴァが尋ねる。
「薬物のような物だ。手にしている限り異常な力を発することが出来る。力の増幅器と言ってもいい」
「そんな物を何故俺に渡す? 力の増幅器なら、あなたが持っているべきではないのか?」
「人の生まれ持った心の力は、呼吸によって高めることが出来る。それは、呼吸の円を越えた、螺旋階段を登るようなものだ。我れは既に永い時をかけて、伝説の剣の高みに達している」
カリツァーの答えにサーヴァは、『よくわからん』、という顔をしながら質問を続ける。
「そもそも伝説の剣とは何のために生まれたんだ?」
「剣とは人にとっての言葉のようなもの。人が言葉により心の力を制御するように、伝説の剣は増幅された力を制御する。つまり神殿とは、人にとっての心であり、剣とは人にとっての言葉なのだ」
「それが俺の質問への答えなのか?」
「人の心の集約が神殿であり、神なのだ。伝説の剣とは神の言葉に過ぎず、神は人と意思の疎通を図ろうとした。それだけだ」
「分かりにくいな」
「分かれば剣は必要ない」
「では、魔王とは何だ? なぜこんなことになった?」
「……あるところに、一人の男が居た。男は伝染性の不死を一人の女に適用したが、女は不老を制御出来なかった。男は哀れみから女を生かし、ゆっくりと化物に変わるその女の姿を、定期的に本来の姿に治療していた。ある日、女が果樹を摘みに森に入ると、一匹の毒蛇が彼女を殺した。その後、狼が彼女の屍肉を食らった。不死は狼と蛇を介して、人々の間に拡散した」
「男は、その女を愛していたのか?」
「さあな……男は不死に侵された者達を殺し尽くそうとしたが、そこに彼の友が立ち塞がった。友は彼に、『何か方法があるはずだ。うまくすれば皆が正しく不老不死に至る道が何か』、と言ったそうだ。男のもう一人の友は強硬に反対したが、結局押し切られた。そうして、皆で改善作を模索している内に、不死は手に負えない程の広がりをみせた。もう不死に侵された者を殺し尽くすよりない。友もついに納得したが、ある地域に赴いたとき、死んでしまった」
「つまり、全ての魔物を滅ぼす方法が、魔王というわけか」
「魔王もまた我が友だった男だ……全ての魔物から不死を奪い去るために、不死の高みから飛び降りたのだ。そしてその落下はもう自身には止められず、今も落ち続ける。誰かが止めてやらねばならない」
二人は無言のまま螺旋階段を出ると、通路の先に扉が現れた。
「着いたぞ」
頑丈そうな扉の前にカリツァーがいた。
感慨深げにたたずんでいる。
その後ろにはサーヴァ。
「この向こうに魔王がいる。しかし、お前の出番はまだだ」
カリツァーは長剣に気を込め扉を斬る。
幾筋もの軌跡を残し、扉が音を立てて崩れて行く。
扉の向こうには、都市の廃墟が広がっていた。
広大な空間と共に、高度な文明の廃墟があった。
しかし僅かに遺る巨大な建造物よりも、さらに巨大なものがあった。
それは都市の中央にいた。
赤黒く爛れた肌。醜く膨れた赤い目。
その首が、七つに増えている。
「あれは?」
サーヴァが尋ねる。
「あれが魔王アータル。アトラ国の主神にして、我が友、の変わり果てた姿だ……」
「神が、魔王だと……」
「いくぞ」
「狙うべきは?」
「心臓だ」
*
サーヴァが飛ぶ。
地面よりも少し上、人の腰の高さを。
その前方にはカリツァーの姿が見える。
「掴まれ」
手を出すサーヴァに掴まるカリツァー。
「よけいな世話だ」
カリツァーの言葉に苦笑するサーヴァ。
一気に高度を上げ、廃墟の上を高速で飛ぶ。
竜の首がそれぞれ炎を吐く。
サーヴァは軌道を変え、あるいは避け、あるいは竜の炎を斬る。
その眼の前に、赤い竜の首が迫った。
うねる首の間を飛び、二人は多くの首をそれぞれの剣で傷つける。
その度毎に、傷が赤黒い血をしぶく。
一つの頭が現れた。
大きく口を広げる。
左下に避け、すれ違いざま赤の剣で首を薙ぐ。
すると、澄んだ音を立てて赤の剣が砕けた。
「何!?」
叫ぶサーヴァ。
落ちる。
カリツァーが竜の首の一つに長剣を突き立てた。
「しっかりつかまっていろ!」
サーヴァに向かって言う。
「俺は!!」
「かまわん。剣の寿命だ」
言う内にもカリツァーの長剣は熱を帯び、灼熱して行く。
いくら再生の呪文を唱えても、その熱を凌駕することは出来ず、ついにカリツァーの腕が燃え始める。
さらに、竜の別の首が眼前に迫り口を開いた。
炎が吐き出される寸前、その首が落ちる。
落ちゆく首の後ろには、シルスの姿があった。
赤い竜の首がまた落とされる。
カリツァーの剣がそれに突き刺さったままの首が……
首が落ちる寸前、シルスはカリツァーの長剣を斬り、二人を地上、少し離れた所に降ろす。
シルスは剣を通してカリツァーの傷を治し、すぐに背を向けて歩き出す。
その背にカリツァーが声をかけた。
「黒の剣の使い手だな?」
その声にシルスが歩みを止める。
「何か、武器になるものはないか?」
カリツァーが問う。
「悪いな」
静かに答えて歩き出すシルス。
苦笑するカリツァー。
そしてカリツァーも歩き出す。
「友を犠牲にした我れに、この程度の苦痛では、足りんのだ……」
サーヴァはその場に座っていた。
「また、伝説の剣がないと何も出来んのか? 俺は……さて……」
苦笑しながら起き上がり、歩き出す。
シルスは竜を見ていた。
ごふっ!
シルスの喉から血が溢れる。
気がつくと、胸を貫かれていた。
カリツァーの手に、背中から……
カリツァーが手を引き抜くと、シルスは膝をつき、前のめりに倒れた。
「後ろが甘いな」
言いながらカリツァーは黒の剣を手にする。
そして竜に向かって歩き出した。
サーヴァが叫ぶ。
「カリツァー! お前はいったい!?」
カリツァーは振り向かずに言う。
「友は我が手で殺す」
「正気か? 奴は!?」
そしてシルスに駆け寄る。
まだ息がある。
しかし傷は重く、失われた血は大地を染め上げる。
「長くはない……救うには、剣か……」
サーヴァは柄だけが残った赤の剣を持っていた。
柄をシルスに当て、念を込める。
「無理か……」
『奴を止めるしかない、か……』
柄をシルスの背に残したまま、サーヴァはカリツァーの後を追った。
竜の前にはカリツァーがいた。
竜の攻撃は全て、カリツァーの剣に弾かれる。
カリツァーが飛ぶと、次々に竜の首が落とされる。
炎を浴びせようと開かれる口も、両断される。
竜は全ての首を失い、カリツァーは動きを止めた竜の背に降り立つ。
瞬間、竜の尾がカリツァーを襲う。
「無駄だ」
カリツァーは言い、剣が閃く。
尾は両断され、さらに赤い竜の背から真一文字に、血が吹き出す。
竜の身体は両断され、その血が高温のマグマとなって迸る。
サーヴァは急いでシルスの元に駆け戻り、シルスを抱え上げてマグマに呑まれまいと走った。
竜が両断された後、その中心には赤い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。
カリツァーは掌に包めるほどの小さなそれを、呑む。
赤いオーラがカリツァーを包み込んだ。
カリツァーは左手を真上に向け、気を込めて頭上高くを撃ちぬいた。
赤い衝撃は天を昇り、神殿の頂部を吹き飛ばす。
カリツァーはそのまま上昇し、黒の剣を投げ捨てる。
黒の剣はサーヴァの足許に深く刺さった。
サーヴァがシルスを連れて逃れた場所に。
サーヴァは剣を引き抜きシルスに触れる。
傷は塞がって行くが、意識はなかった。
その側にノルズが現れる。
虚空から。
「お前は?」
サーヴァが訊く。
「剣の精。ノルズ」
「剣の精……聞いたことがある。伝説の剣はそれぞれに化身を持つと」
「お前に頼みがある」
「頼み?」
「シルスを青の神殿に運んでほしい。私の命があるうちに。場所は私が導く。あ奴の神殿も近くに来ているはずだから」
「どういうことだ?」
訝しげにサーヴァが訊く。
「魔王は全ての宝珠を狙っている」
「カリツァーのことか?」
「彼はもうすぐ私に出会うだろう」
サーヴァは眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「本当の私は神殿の中にある。剣は端末にすぎない」
「神殿の中?」
「そう。宝珠こそ私の心臓。彼は、私の心臓も食らうつもりだ」
*
気がつくと、カリツァーは漆黒の宇宙に浮かんでいた。
眼前には闇が暴風となって荒れ狂っている。
闇が語った。
「剣とは何か?」
カリツァーの赤いオーラが、闇の流れに少しずつ奪われて行く。
「きっかけだ。当たれば死ぬ」
カリツァーが答える。
「きっかけとは何か?」
「大義名分だ。呪文もまた」
「大義名分とは何か?」
「制約だ。殺されたら死んでもいい」
「制約とは何か?」
「無ければ肉体もいらない物だ」
そう言うと、カリツァーの身体に変化が起こった。
半身から溶けかかり、左の眼球は既に無い。
「たいした幻覚だ」
カリツァーが言うと、肉体の再生が始まる。
「魔王よ。そなたの目的は何だ?」
「世は狂いすぎた。我が手によってな」
「なら正せば良い」
「そうするつもりだ。全てを破壊してな」
「何故?」
「魔物たちに人間レベルの知性が戻った所で、もはや人としては生きられまい。人間達は今や知性を失い生きているだけの獣となり果て、獣達はその知性をさらに失った。愚劣に堕した者たちは、全て我れが救ってやる。我れは救世主なり」
「全てを破壊してどのように世を救うつもりなのだ?」
「肉体を破壊すればそれ以前の姿が残る。全てをやり直そうというのだ。初めから」
「魔王よ。言葉は制約を生むぞ。それでもなお語り続けるのか?」
「制約が無ければ制御することは出来まい」
「そうか。別の要素が入り混じっているのだな。そなたは……堕ちた赤い竜の影響か……」
「何を言っている?」
「そなたに問う。全てを無に帰するつもりなら、最後にそなた自身をどうする?」
「我れは救世主、無ではない」
「制約の無いものは無限だが、全てを無限の存在にした後、そなただけが取り残されて、無限の存在に怯えるつもりか? 人はより制約の無いものを怖れるもの。それでもなおそなたは、制約を持つ魔王でいるのか?」
「我れは救世主。ならば全てを滅ぼして後、我れも無に還ろうではないか」
「無は無制限。そなたと人々との隔たりを無くしたいのか? 他の人々との均質を望むのか?」
「無がこの我れよりも優れたものなら、全てのものを無に引き上げる我れは、救世主ではないか。さらに無が我れよりも優れたものなら、我れは最後に我れ以上のものと、対等になることが出来る。素晴らしいことではないか」
「それ程すばらしいことなら、今すぐ無に還ればよいではないか」
「我れは救世主。全ての者を救う義務がある」
「それは誰にとっての救いなのだ? そなたを満足させるそなただけの救いか? それとも全ての者を救うために、そなたが犠牲となる、他の者の救いか?」
「この我れを含む全ての者の救いだ」
「では問おう。救いとは何か? 幸不幸はその者の価値観によって変わる。そなたの価値観を優先させての救いなら、それはそなたの救いであって、他の者には当たらない」
「ならば価値観を同じにすればよい。皆が無に行けば同じ位置。同じ価値観となろう」
「しかしこの時点では無ではない、そなたの価値観はどうなる?」
「我れは初めからその価値観を手に入れることを望んでいる」
「ならばその価値観を持っていない者に、言い換えるなら、いまだその位置に達していない者に、どうしてその価値観を勧めることが出来る?」
「それは我れが無を最勝の物と信じているからだ」
「ならば無が滅びよと言えば、そなたは滅びるのか? 何の疑いもなく」
「ああ、本当に無ならばそうしよう」
「では言おう。私が無だ。魔王よ、今こそ滅びるがよい」
「お前は無ではない」
「何故疑う? そなたは、無とは何かを知っているのか?」
「全ての制約を離れた物が無だ」
「ならば言おう。私は制約を持った無だ。私の言うことを信じ、滅びるがよい」
「お前はまだ無ではない。それにお前が今の状態のまま無の価値観を持ち得るなら、我れも今の状態のままで、無の価値観を持ち得ることになるではないか。無の価値観を持つ我れが、その価値観を全てに広げて何が悪いというのか?」
「認めるのか? この私が無の価値観を持っていると。ならばその価値観において命じる。魔王よ、滅びるがよい。もし認めないのであれば、そなたにも無の価値観は無いことになり、そなたに無の価値観を広めることは出来ない。所詮そなたに出来ることは、無の価値観とはこうであろうという想像を広めるのみ」
「方法はわかっている。 全てを滅し尽くせば、全ての者を無に送り込むことが出来る」
「そんなことで本当に無に帰することが可能だと思うか? 人が死ねば肉体という制約を失うのみ」
「ならばその後に残る物全てを滅してやろうではないか」
「全てが無に還り得るなら、人は皆無から生じたのだ。同じように、そなたが全てを滅した後、有が生じたらどうする? それともそなただけは制約として残り、永遠に無の召使いとして生きるのか? 現れるはずの有を滅するために」
「それもよい……現れるべき有限の物が方向を誤まてば、その度に世界を滅ぼすのもな」
「やっと姿を現したな……人間よ。 魔王はどうした?」
「たった今、食い尽くしたところだ…………魔王とは、愚かな……」
「そなたは愚かではないと言うのか?」
「さあな」
「そなたの目的は何だ?」
「人々を救う」
「救えるのか? そなたに。目的の為に手段を選ばない者に」
「出来れば選びたいが……悪いな、我れは急ぐ」
「そなたの理想とは何だ?」
「人々の笑顔だ」
「そう、私の愛した方と、同じ理想……人間よ、これだけは覚えておけ。 一人で無理をするな……」
カリツァーの前に、黒い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。
呑み下す。
カリツァーのオーラが闇の色に変わる。
*
サーヴァはシルスの身体を肩に担ぎながら飛んだ。
空間をノルズが先導して飛ぶ。
青の神殿が見えた。
滑らかな神殿の表面に降り立つ。
足が滑り、慌てて黒の剣を突き立てる。
「傷つけましたね」
後ろで声がした。
振り向くと、青銀の髪を風になびかせた青年が浮かんでいた。
その横には、青の剣を手にした赤毛の青年。
ギースとサーヴァが同時に息を呑む。
「その剣は!?」
「シルスなのか!?」
サーヴァとギースが同時に声を上げた。
*
青の神殿の内部には、青い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。
その下には瑞々しい緑が広がり、美しい森や草原が広がっている。
建物もぽつぽつと点在していたが、それほど目立たなかった。
丈の高い草原には、馬のように大きな狐が、銀色の毛皮を揺らしながら駆けて行く。
所々には美しい丘があり、花が咲き、小鳥が飛ぶ。
朝露を受けた春のような光景が広がっていた。
一つの丘の上。サーヴァは柔らかい草の上にシルスを寝かせ、その腹に黒い刀身の剣を載せた。
「その剣は?」
ギースが問う。
「この男のものだ」
シルスを見ながらサーヴァが問う。
「あの青の剣は……」
「これか?」
ギースは剣を見せる。
「その剣はお前のものなのか?」
「ああ。ジェフが言うには、俺の方が剣の持ち物みたいなんだけどな」
ちょっと照れぎみに答えた。
「そうか……剣に選ばれたのか……」
暗い表情を見せるサーヴァ。
「あなたは?」
ジェフが訊いた。
それに対し、自嘲ぎみに答えるサーヴァ。
「アトラ国の王、サーヴァ」
「あなたが……」
「そうですか……それは苦労されましたね」
ジェフが口を開く。
「え~と、じゃあこの剣は?」
青の剣を手にして、ギースが言う。
「剣が選んだのだから、それはお前のものだ」
微笑んでサーヴァが言った。
「いいのかな?」
ジェフに訊くギース。
笑顔で頷くジェフ。
三人は寝かされたシルスを囲んで座っていた。
「そう言えば、何でシルスがここにいるんだ?」
ギースが言った、そのとき。
金属の軋む音がした。
シルスの腹の上の黒い刀身に亀裂が走る。
『シルス……生きなさい』
全員の頭に声が響いた。
金属の砕ける音が響き、黒い刀身が砕け散る。
ジェフは静かに目を閉じた……
*
カリツァーは黒いオーラに包まれて、次の神殿に向かった。
夜空に浮かぶ、白の神殿に。
白の神殿の側面に描かれた、装飾的な眼が白い光りを放つ。
カリツァーの黒いオーラが膨れ上がり、神殿の白い光を弾きながら、その眼に向かう。
そのまま中腹に描かれた眼に突っ込み、装甲を破る。
白の神殿内部を破壊しながら、さらに中心部に向かって飛び続けるカリツァー。
すると真っ直ぐに伸びる通路が、眼の前に現れた。
構わず通路上を飛び続けるカリツァー。
その通路の中ほどに立ちはだかる、一つの影。
ルートがカリツァーを見据えて佇んでいた。
カリツァーはその手前に降り立ち、ルートに向かって歩く。
黒いオーラに包まれながら。
「きさまの目的は何だ!」
ルートが問う。
カリツァーは何も語らず、ルートに向かって近づき、踏み込んでルートの顔に拳を叩き込む。
ルートは瞬き一つせず、最小限の動きでそれを避け、抜刀してカリツァーの胴を薙ぐ。
しかし金属音を立てて、カリツァーの身体に白い刀身が弾かれる。
「馬鹿な!?」
跳びすさるルート。
それを追うかのような横薙ぎの手刀を、剣で受ける。
「腕を上げたようだな」
「少しはな……」
言いながら、ルートの額に冷や汗が浮かぶ。
ルートはさらに下がって間合いを取ると、その横にヴェスが現れた。
「あいつの身体は剣と同じよ」
そう言うと、ヴェスの白銀の髪がざわめきだし、カリツァーに襲いかかった。
「ルート、逃げなさい! 今のあなたでは奴には勝てない!」
カリツァーが身体を動かす度、身体に巻きついた銀髪が千切れて行く。
「くっ、強度が違いすぎる……」
「剣では剣に勝てないのか?」
ルートが訊く。
「違うわ。意思の力よ……」
カリツァーは右の掌をヴェスに向けて気を放つ。
衝撃波が生まれ、ヴェスの身体を破壊する。
気をとられるルート。
カリツァーが風のようにルートの横をすり抜け、手刀で横腹を斬る。
傷口を押さえながら、両膝をつくルート。
「油断だな」
カリツァーはそう言い残し、神殿の中心部に向かい再び高速で飛行して行く。
ルートの肩に手がかかる。
側には魔導師姿の銀髪の少女。
「追うわよ」
ルートは剣に意を込める。
傷が見る間に治って行く。
額には汗が滲んでいた。
「今なら勝てるかもしれないわ」
ヴェスが言った。
「どういう、ことだ……」
「あなたの意思の力が高まってるってことよ」
そう言ってウインク一つ。
*
白の神殿の中心部には、街があった。
廃墟ではなかったが、人の姿はなかった。
そこには高度な文明の名残りがあった。
町の中心の上空には、白い炎を宿した宝珠が浮かんでいた。
カリツァーがそれに手を触れようとした瞬間、白い光線がカリツァーを襲った。
ルートの剣が放ったものだった。
カリツァーが振り向く。
「遅かったな」
そう言いながら宝珠に手を伸ばす。
白い光線がいくつもカリツァーの背中に叩き込まれる。
しかしカリツァーの動きは止まらない。
「カリツァー!!」
ルートが叫び、カリツァーの頭に一条の光を貫通させた。
しかし、それでも……
カリツァーの動きは止められなかった。
いつの間にかルートの側に現れた少女が言った。
「ルート、最後まで微笑みを忘れずに」
カリツァーが宝珠を飲み込んだ。
瞬間……
剣が砕けた……
白銀の少女は消えていた。
呆けたように、カリツァーを見つめるルート。
涙が頬を伝う。
カリツァーのオーラが白に変わり、神殿の頂部を撃ち抜いて、外に出て行った。
*
ジェフは美しい丘に立ち、遠くを見ていた。
その後ろには、横たえられたシルスを囲んで、サーヴァとギースがいた。
「疲れたな……」
横たわったまま、シルスが言った。
幼なじみのギースに目をやり、さらに言う。
「生きてたか」
「こっちのセリフだ」
ギースが笑う。
青い空に雲が流れ、鳥が舞っていた。
「時間がありません。ヴェスが死にました……」
唐突にジェフが言った。
「何い!?」
ギースが叫ぶ。
「ヴェス?」
シルスが訊く。
「白の剣の化身だ」
ギースが答える。
「そうか……」
遠い目をするシルス。
「ヴェス」
呟くギース。
「時間がありません。もうすぐ彼がここにやって来ます」
「どうするつもりだ?」
サーヴァが訊く。
それを遮るように、ギースが叫ぶ。
「そうだ! ルートは!?」
「ルート?」
サーヴァが訝しむような表情をする。
「ああ、いや、だから、あんたを助けに途中まで一緒だったんだよ! あんたの恋人と!!」
「ルート? あのルートなのか!?」
「ああだから今、その安否確認をだね……って、ジェフ、ルートは無事なのか?」
「彼女の生死は、白の神殿に行かなければなんとも言えません」
「こんな時、どうしたらいいんだ!?」
ギースが叫ぶ。
「一つだけ方法があります」
遠くを見つめていたジェフが、振り返って言った。
「なんだ!?」
ギースが訊く。
「あの青い宝珠を食べなさい。あなたが」
そう言って、天に浮かぶ宝珠を指差した。
「俺が? って待てよ! 死ぬ気かジェフ」
「はい。深刻なことの嫌いなあなたなら、笑顔で出来るはずですよ」
「そんな……まてよ……人を外道みたいに……」
「好き嫌いは言わない! 時間がありませんよ!」
「分かった」
「それでいいのか……」
サーヴァが言った。
ギースは目を瞑って、必死に何かを我慢している。
「竜になりなさい。ギース」
ジェフが力づけるように、静かに言った。
「知らねえぞ……」
ギースは笑った。
頬をつたう涙もそのままに。
「さあ! もう時間がありません!!」
ギースは宝珠に向かった。
「ギース、私の心臓を食い尽くせ……」
それが、ジェフの最後の言葉だった。
*
カリツァーが空を飛んでいる。
赤黒い甲冑が日にきらめき、黒いマントが風にはためく。
その全身は、白いオーラに包まれていた。
風を切り裂き青の神殿に近づく。
美しいその表面の前で、一旦空中に留まる。
そして右手をかざして気を込めると、神殿の表面に装飾的に描かれた眼が、内側に向かってひしゃげ、吹き飛ぶ。
装甲が敗れ、通路が現れた。
中に入るカリツァー。
今度は内部を破壊しながら、飛び進む。
飛びゆくカリツァーを眼のある金属球が襲う。
しかしカリツァーの右手の一振りで、全ての金属球が壁や床に叩きつけられて潰された。
時間稼ぎにもならない。
カリツァーの正面に壁が近づく。
正面の壁を破ると、広大な空間が広がっていた。
青い空には雲が流れている。
美しい春の景色だった。
カリツァーは宝珠を目で追った。
しかし、あるはずの所にそれはなかった。
「ばかな……」
カリツァーは呟いた。
ギースはシルスとサーヴァを脇に抱え、白の神殿に向かって飛んでいた。
ギースは青いオーラに包まれている。
「うまく時間を稼げるといいが……」
シルスが言った。
「大丈夫だって」
笑いながらギースが言う。
白の神殿が近づいて来る。
白の神殿の頂部に向かい、カリツァーが破壊した頂部の穴をくぐった。
そして、ゆっくりと降りて行く。
広大な神殿内部を見渡しながら。
「ルート!」
ギースが叫ぶ。
「ギース、真下だ」
シルスが言う。
そして、サーヴァが息を呑む。
ゆっくりと降りて行き、ルートの側に着地した。
ルートは俯いて、泣いていた。
「ルート?」
ギースが声をかける。
「ヴェスが……死んだ……」
「わかってる」
「ルート……なのか?」
サーヴァが声をかける。
サーヴァの方におずおずと目を向けるルート。
眼を見開き、涙が溢れる。
「ああ、やはり……生きていらしたのですね」
「ルート」
サーヴァが名を呼ぶ。
その胸に飛び込むルート。
「サーヴァ様。サーヴァ様。御無事で……」
ルートの涙がサーヴァの胸を濡らす。
「ルートも……」
ルートの髪を優しく撫でながら言う。
「良かったな」
ギースが言った。
「すまん。こんな時に……」
「いいっていいって。こんな時だからこそ、だろ? じゃあ、俺は行くぜ」
ギースがふわりと宙に浮く。
「待て、どういうことだ?」
ギースの纏った青いオーラを見ながら、ルートが訊く。
「ジェフに貰った」
ギースが素っ気なく答える。
そしてギースの身体がゆっくりと浮かんで行く。
その足を、掴んで地面に引き倒すシルス。
地面に打ちつけた顔面を押さえて、シルスを見上げるギース。
「行くのか?」
泣きそうな声でシルスが言った。
「まあな」
服の埃をはたきながら、起き上がる。
「足手まといなのか?」
「ああ、足手まといだ」
ギースが答える。
「手伝えることは?」
「無い!」
そう言ったギースの肩に、後ろから手が置かれた。
サーヴァだった。
「いや、一つだけあるさ」
振り返るギース。
サーヴァは笑っている。
不審そうな表情をして、見つめるギース。
「これは、俺の国に伝わる伝承なんだが……伝説の剣を手にする者は、己の身体を好きな形に変化させることが出来ると……」
「不老の変化の事か?」
ギースが言った。
「やはりな」
サーヴァが笑う。
「なら、伝説の剣に匹敵する物に変化することも、出来るんじゃないか? 武器として」
「なるほど、って、俺はどうなるんだ?」
「髪の一部や爪のように、武器を生み出す端から、切り離せばいい」
「なるほど」
ギースが右手に気を込めると、手首から先が青い刀身の剣に変わる。
ポロリと落ち、手首を失った腕がまた再生した。
剣を拾い上げるシルス。
「使えそうだ」
「次は盾か?」
ギースが言うと、鏡のような盾が生み出される。
「次は鎧?」
右手が変化し、美しい鎧が生まれ出る。
「私には、弓と剣を」
ルートが言う。
いつの間にか、皆に笑顔が戻っていた。
「剣と槍を頼む」
微笑しながらサーヴァが言う。
「じゃあ、俺は中に乗り込んで戦えるような巨人がいいな」
シルスが言う。
「任せろ」
「では、俺は空を飛ぶ巨大な船を頼む」
サーヴァが言う。
「私には、可愛いペットを。もちろん戦闘力付きで」
ルート。
「金銀財宝を頼む」
指を立てながらシルスが言う。
そして、現れた財宝の中に飛び込むシルス。
その財宝は、みな青銀色に輝いていた。
サーヴァがその中から一つの指輪を拾い出し、ルートの指にはめてやる。
頬を染め俯むくルート。
白の神殿の内部には、次々と訳の分からない物が増えていった。
「ちょっと待て……さすがに疲れたぞ」
肩で息をしながら言うギース。
側に転がる猫型ロボットが微笑ましい。
*
カリツァーはまだ、青の神殿の内部にいた。
美しい丘に佇み、遠い眼をしている。
そして美しい景色の中を歩き出す。
*
ギースは青いオーラに包まれながら、青の神殿に向かって飛んだ。
その右手にはシルスが掴まり、左手にはサーヴァが、サーヴァの腕にはルートが掴まっていた。
皆美しい青銀の鎧に身を包んでいる。
神殿の表面にはカリツァーの開けた穴があり、そこから中に入った。
「ギース、頼む」
ルートが言った。
「おう」
ギースは微笑んで答えると、右手を突き出し変化させる。
すると、美しい青銀の弓が生まれ出た。
受け取るルート。
次には矢筒に入った矢が生まれ出る。
これも美しい。
そして槍が生まれる。
「こんなもんか?」
ギースが訊く。
「ああ、充分だ」
槍を受け取りながらサーヴァが答える。
皆剣だけは初めから腰に帯びていた。
そして歩き出す。
所々にカリツァーの破壊した物達が転がっている。
シルスが言った。
「この戦いが終わったらどうする?」
ギースが答える。
「そりゃあ冒険旅行だな。世界中を旅するんだ。 シルスはどうするんだ?」
「森に篭って、本でも読んで暮らそうかな」
「何か、年寄りみたいだな」
「俺達はどうする?」
ルートに向かってサーヴァが訊く。
「どうしたいんです?」
ルートが訊き返す。
「どうしたいんだろうな?」
顔を見合わせて笑い合う。
「勝たなきゃね」
シルスが言った。
皆まじめな顔になって頷く。
「そうだシルス。戦いが終わったら、一緒に冒険旅行に出ないか? 世界中に文化ってやつを広めて回るんだ。面白そうだろ?」
「考えとくよ」
シルスが笑った。
「行くぞ」
通路の尽きた先。ギースが言って広大な空間に飛び降りる。
全員がギースに掴まっていた。
地上に降り立ちギースが叫ぶ。
「勝負だ! カリツァー!!」
しかしカリツァーの姿はどこにもなく、平和な景色が広がっていた。
どこからも反応が無いので、思わず照れ笑いするギース。
その時、点在する建物の一つが爆発した。
ギース達の近く。
壁の向こうには、カリツァーの姿があった。
「待っていたぞ」
カリツァーが言った。
「俺が逃げるとは思わなかったのかよ?」
ギースが訊く。
「逃げてどうなる?」
カリツァーが宙に高く浮かぶ。
ルートが弓を射る。
カリツァーがうるさそうに手を振ると、生まれた衝撃波に空中の矢が散らされた。
「逃げるぞ!」
ギースはそう言い走り出す。
後に続く三人。
カリツァーの手の中に炎の球が生み出される。
無数の火焔球が四人を襲う。
四人はそれぞれ別方向に散る。
カリツァーが右手を振り上げると、その直下からギースにかけて、大地が一直線に凍って行く。
ルートが弓を射る。
空中のカリツァーの腕に突き刺さった。
眉をひそめて矢を引き抜くカリツァー。
凍りついたギースが氷を割って出てくる。
サーヴァが槍を投げた。
カリツァーは紙一重でそれを避け、サーヴァの動きを眼で追う。
瞬間、後ろから槍に貫かれた。
腹部を。
槍はそのまま貫通し、サーヴァの手に戻って行く。
シルスが剣に気を込めた。
すると剣は一条の光を生み、カリツァーの左腕を切断する。
血がしぶく。
しかし切断された腕を右手で掴んで傷口に合わせると、再びカリツァーの身体に繋がる。
腹の傷も既に再生していた。
カリツァーが地上に降り立つ。
その左手からは剣を手にしたルートが、右からは槍を構えたサーヴァが接近する。
正面には剣を上段に構えたシルスがいた。
シルスが剣を振り下ろす。衝撃波が生まれ、カリツァーを縦に薙ぐ。
左右に両断されるカリツァーの身体。
シルスは一応警戒して背後に跳ぶ。
カリツァーの心臓のあたりには、赤、黒、白、黒、赤、黒……と、色を変えていく宝珠が見えた。
しかしカリツァーの両断された身体は見る間に繋がり、完全に再生する。
歩き出すカリツァー。
そしてカリツァーの姿が消える。
次の瞬間、シルスの眼前に現れる。
カリツァーの右手がシルスの頭に伸びた。
身を沈めてカリツァーの右に抜け、同時に剣を横に薙ぐ。
手応えがあり、カリツァーの腹が血を吹き出す。
しかしカリツァーはそれでも動じず、右手に生んだ衝撃波の塊をシルスの背に叩き込んだ。
地面に倒れるシルス。
カリツァーの手に黒い刀身の剣が生まれ出る。
カリツァーはシルスに向かい、剣を高く振り上げた。
その時、その背後に回り込んでいたルートが跳んだ。
カリツァーに剣を振り下ろす。
カリツァーは振り向き、左手でそれを受けた。
そしてルートの剣の刀身を握りしめ、徐々に荷重を加えてその剣を砕いた。
「お前の目的は何だ?」
ルートが訊く。
「この悪夢を終わらせることだ」
カリツァーが答えた。
「何だと?」
「人類は知性を失い、野生に戻る。魔物たちは人の知性を持ち、その姿に苦しむだろう。彼らにはもう悲惨と苦痛しか残されてはいない。ならば、その最初の原因たる我れが、今の世代を全て滅ぼす!!」
ルートはカリツァーが答える隙に距離を取る。
「最初の原因だと? そもそもお前は何故魔物を生み出したのだ!?」
カリツァーはしばし目を閉じる。
そして再び目を開くと、少し悲しげに口を歪めた。
そして心を決めたようにルートに向かって踏み込むと、一息に剣を横に薙ぐ。
血が飛び散る。
カリツァーの剣を受け止めたのは、サーヴァの脇腹だった……
槍の柄が折れ、カリツァーの剣が鎧に食い込む。
剣はサーヴァの脇腹に達した。
「馬鹿なことはやめろ」
カリツァーはもう答えない。
その時、シルスがカリツァーに近づき、渾身を込めて剣を打ち下ろした。
カリツァーはそれを剣で受ける。
受けるが……折れる。
「ばかな……」
カリツァーが呟く。
「俺は目的のために手段を選ばんような奴は嫌いだ! それがどれほど高尚な理念であろうと!」
シルスが吐き捨てるように言った。
「ならば、虐げられている者を目にした時、お前ならどうする?」
「虐げている者を殺す、それだけだ」
「ならば目に入らない者達はどうなってもよいのか!!」
「だからと言って罪のない者を巻き込んでもいいのか!!」
「よい!!」
「ならば死ね!!」
「何度やっても無駄だ!!」
シルスはカリツァーの声を無視し、剣を振り下ろしてカリツァーの身体を両断した。
そしてまた、再生が始まる。
「ギース! 今だ!!」
カリツァーの後ろに回り込んでいたギースが、両断されて剥き出しになったカリツァーの体内から、宝珠を抜き取る。
カリツァーの身体は途中で再生を止めた。
ギースが静かに言う。
「バカヤロウ……時代が求めるのは良識派なんだよ……いつの世もな」
エピローグ
あれから永い永い時が流れた。
魔物の世代は滅び、神話や伝説となった。
一部には稀に、魔物の姿が遺伝する者達も見られたが、人々の間からは去って行った。
新しい王達が地上に降った。
四人の王は四方に散り、世界を四つに分けて治めた。
戦乱の時代は彼らによって鎮まり、永く平和な時代が訪れる。
その後には彼らも姿を消し、伝説の中に沈み込む……
神殿はもう空を飛ばず、あるいは山となり、あるいは海の底に沈んで行った。
遠い記憶から、人々は神殿に似せて、ピラミッドを作り始める。
*
森の中を川が流れていた。
川岸では二人の青年が釣りをしている。
一人は黒い衣装をまとい、黒い髪。
一人は青い衣装をまとい、赤い髪。
針に魚がかかった。
黒い衣装の青年の方だ。
「やるな。シルス」
青い衣装の青年が言った。
大きい。自慢するシルス。
青い衣装の青年の針にも魚がかかる。
さらに大きかった。
「ギース。やるな」
今度はシルスが言った。
笑うギース。
負けじと針を下ろすシルス。
そこに馬が二頭近づいて来た。
白い馬には白い戦士の衣装をつけたルート。
赤い馬には赤い戦士の衣装をつけた、サーヴァが乗っていた。
シルスとギースは、馬の背に乗った二人に手を挙げて挨拶する。
笑顔で。
ルートはキノコの詰まったカゴを差し上げて見せた。
にっこりと微笑みながら。
そしてそのカゴを隣のサーヴァに渡し、勢い良く馬から跳び降りる。
そして川の中に沈み込み、沈んで行く。ぶくぶくぶく。
サーヴァはそれを微笑みながら見ている。
ルートが水の上に顔を出す。
髪を濡らしながら……
そして大きな魚の尻尾を口にくわえ、にたりっと笑う。
ちょっと怖い。
シルスが岸に近づいたルートに、手を差し出す。
ルートは右手を上げ、掴んでいた大きな魚をシルスに手渡した。
そして左手も上げ、掴んでいた別の大きな魚を岸に高く投げ上げる。
あわてて魚の落下地点に急ぐギース。
ナイスキャッチ。
ルートは両手を岸につき、上半身を持ち上げると、くわえていた大きな魚が跳ね上がった。
*
森の中。
小さな丸太小屋の側には焚き火があり、大きな鍋がかかっていた。
ギースが料理を作っている。
流れる湯気が食欲をそそる。
その近くにはテーブルがあり、白いクロスがかかっていた。
テーブルの上には燭台があり、銀の食器が乗っている。
真ん中には花が飾られて……
ルートは白いドレスに着替えていた。
サーヴァも今日は正装している。
シルスが細長い絨毯を敷き、その上に二人を立たせた。
サーヴァとルートの結婚式が、今始まる……
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