ファンタジー創作小説【フロウ】前編

文字数制限があるようなので2つに分割します。

 2012-07-25 05:34:53

 前書き

 ではまず言い訳から。 

 この作品の生まれた経緯について、書いてみたいと思います。

 この作品は私が20代中頃に、生まれて初めて書いた小説です。

 そして今のとこ、生涯唯一書いた小説です。

 それまでに書いたものと言えば、原稿用紙2ページ程度の短いものを数作書いたことがあるくらいです。

 あれはまだ私が20代前半の頃、生活に(お金に)困って、何年間も僅かな小麦粉と水だけで(一ヶ月で小麦粉一キログラムと水道の水とか)、休みも取らずに朝から晩まで働き詰めだった頃、いつも飢えていた私は、本屋でライトノベルの大賞募集の雑誌広告をたまたま見かけ、『賞金200万円!?』、『締め切りは5日後!?』、『頑張れば間に合うんじゃないの!?』と思いつつ、血迷ってしまい(金に目が眩んで)、百円ショップでなけなしの数百円で原稿用紙と封筒を書い、その日から執筆を始めたのでした。

 しかしお金はなくても、毎日工事関係の仕事の予定が二週間先まで詰まっていました。

 つまり私は当時、毎日朝9時が晩の21時まで働いて(スーパーの改装工事)、その後家に帰ると22時、 そこから朝まで執筆し続けては昼間は仕事という、五日間寝ないで仕事しながら執筆生活を始めたのでした。

 しかし小説なんて書いたことないので書き方がよく分かりません。

 なので導入部とか、詩を書くような雰囲気で執筆したので、なんか訳のわからないものになってしまいました。(それでも後になるほど文章はましになるのですが…)

 しかし結局五日間では規定の枚数に30枚ほど足りず、それでもせっかく書いたんだからと思い、藁にもすがる思いで送った原稿でした。

 もちろんそんな都合のいい話があるわけもなく、普通に落選しましたが。

 なら来年に回せばよかったのにという意見もあるでしょうが、私はあのとき燃え尽きてしまいました。

 傷心の私はこの小説を青いゴミ袋の中に仕舞い込み、結局20年近く放置していた次第です。

 それ以降小説を書こうという気にもならず、でもせっかく書いたのでブログかホームページに載せようと何度か思うのですが、その度に切ない気持ちになり、30代の頃数ページを入力しただけで、またゴミ袋に寝かせていました。

 まあそんなわけなので、下手なもの見せるなという意見があれば、以上言い訳でした。

 ただ表現は未熟ですが、私は当時、夢のある楽しくて面白いものを書こうと思ったのも事実です。すごくやっつけ仕事ではありましたけど…

 私はこの小説好きですよ。すごく稚拙でも…

 あと、タイトルの『フロウ』は不老と掛けています。



【フロウ】


 星空を背に黒い神殿が浮かんでいた。

 その巨大な神殿の形は四角錐で、側面には装飾的な眼が描かれていた。

 シルスは神殿下部にある扉を開け、外を見ていた。

 彼は、漆黒の髪に白い戦士の衣装を身に着けた青年。

 黒の神殿は漂い行き、景色は流れた。

 幻想的な夜。

 シルスはその背に剣を負い、外に出た。

 少し流されたが、上手く飛べた。

 森が広がっていた。

 月の光を浴び、きらきらと光っている。

 銀色の森。

 遠くに淡い光が見える。

 それは赤の神殿の光。

 風に乗り、廃墟をすり抜けながら背中の剣を抜く。

 夜の空気に魔物の気配が混じった。

 路上に一体。

 空気に乗り、横をすり抜けざま、斬る。

 飛び行く先にはさらに数体の魔物。

 ゆるやかな風が吹き抜けるように、魔物を斬り伏せる。

 路上を埋め尽くす無数の魔物が見えた。

 剣を縦に一閃すると、大地が潰れる。

 路上の中央から、どこまでも沈み込んで……

 魔物の多くは潰れ、落ち行く。

 そこここから溢れ出す魔物たち。

 シルスは眉をしかめ、高度をとる。

 翼を持つ魔物が宙に舞った。

 空を覆い尽くす。

《シルス!》

 頭の中に声が響く。

 赤の神殿に注意を向けると、神殿に描かれた眼が光を強める。

 高度を下げるシルス。

 シルスのいた空間を、赤い光が薙ぐ。

 巻き込まれ、消し飛ぶ魔物の群れ。

 シルスは廃屋の屋根に降り立った。

《二手に分かれようぞ》

 頭の中に声が響き、虚空から黒髪の少女ノルズが現われる。

「剣を」

 言うノルズに剣を渡す。

「魔物は私が引きつける。そなたは魔王を」

「分かった」

「すまぬ……そなたの力を奪うことになるが、私は剣を通してしか生きられぬ」

「分かってる」

 軽く右手を上げて笑う。

 ノルズは振り向き闇の中に消えた。

「見捨てられたかな……」

 背中の鞘を抜き、屋根から飛び降りる。

 上段に構え、着地と同時に正面の魔物を打ち砕く。

 そして後ろを向き、別の魔物を貫く。

 夜気が冷たい。

 周囲にはおぞましい物たちの眼。

 魔物が蠢く。

 黒の剣を手にしたノルズは、シルスから離れて一人、空に浮かんで星を見ていた。

 月明かりを浴びながら。

 そしてこれまでの事を思い出す……

 一人の男が樹々の間から現われた。

 抜き身の剣を持ち、返り血を浴びていた。

 落ち着いた足取りで、息も乱さずに歩いて来る。

 闇の中から銀色の星明りの下へ。

 手にする剣は漆黒の剣。

 彼の名はティエラといった。

 樹々の奥には数体の魔物が転がり、いずれも鮮やかな手並みで斬られている。

 彼の周囲にはまだ多くの魔物が蠢いていたが、多くのものはその剣を恐れて近づこうとはしない。

 しかしティエラの前に、一体の魔物が姿を現した。

 漆黒のようにぬらぬらとしたそれは、不快げに何かを叫んだ。

 それは突然の殺戮に対する怒りと抗議のようにも聞こえた。

「お前らが悪いわけではないのにな……」

 言いながらティエラは闇の魔物に向かい、静かに歩いた。

「悪いな……」

 魔物は何か叫ぶと身体を広げ、ティエラを包み込もうとした。

 ティエラの前には草原が広がっていた。

 星空を背にして。

「そなたの望みを申してみよ」

 後ろで声が聞こえた。

 振り向くと、一人の美しい娘がいた。

 漆黒の長い髪。

 黒いドレス。

「誰だ?」

「剣。名はノルズという。そなたの望みを叶えてやろう」

「望み?」

「富でも、王権でも、美しい女でも、欲しいものを何でも手にいれてやろう」

「俺が望むもの……それは……皆が笑い合える世界。そういう世界は可能か?」

「全てが踏みにじってもよい幻影なら?」

 ティエラが答えるより早く世界は消え去り、彼の身体は星空の中に浮かんでいた。

 永い永い時が経ち、髪が伸び髭が伸び白髪になり、皺だらけの老人になって死を迎える。

 目が覚めると、赤子からやりなおしていた。

 無限の空間が広がる星々の間で……

 少年になり、青年になり、老人になり、死んでまた赤子からやりなおす。

 そうして無限の時を過ごした。

「虚妄(きょもう)にすぎん」

 そう言ってティエラは死んだ。

 ティエラは再び草原にいた。

 目の前には剣を名乗った少女がいる。

「全てはそなたしだいだ。そなたが悪なら私も悪になろう。そなたが善なら私も善になろう。忘れるな。そなたが悪でも私はそなたを見捨てはせぬ。私はそなたのものだ」

 ある日ティエラは漆黒の剣に尋ねた。

「死というものが無ければ、人は争わず、皆で笑い合えるのではないか?」

 するとティエラの目の前に、剣の精ノルズが現れた。

 何もない空間から。

 フリルのついたかわいい服を着ている。

 アクセサリーをちりばめて。

「満たされても、さらなる渇きを覚えるのが人だ」

「しかし、老いて死ぬのが人にとり最大の渇きではないか?」

 ノルズはしばしの沈黙のあと、口を開いて言った。

「この姿は気に入ったか?」

 最初ティエラは戸惑ったが、すぐに微笑を浮かべて答えた。

「似合ってるよ」

 ノルズはそっぽを向いて、頬を薔薇色に染めさらに沈黙した。

 ティエラはその姿を微笑みながら見守っている。

 ノルズは後ろを向き、大きなため息を一つつき、ゆっくりと深呼吸をしてから冷静な口調で答えた。

「やってみるがよい。そなたの思うままに」

 ティエラは静かに言った。

「隠れてないで出てきたらどうだ?」

 木立の影から一人の若者が現れた。

 シルスだった。

 腰の剣を抜き、ゆっくりと歩いて来る。

 ティエラは落ち着いていた。

 そして剣を合わせることもなく、シルスの剣に貫かれて、死んだ。

 最後の瞬間、微かな声でこう呟いた。

 自嘲的に。

「負い目がなければ、最低でも互角には戦えたのにな……」

 満月が森を照らし出す。

 シルスはティエラの屍を見ていた。

 側に若い娘が現れる。

 虚空から。

「何故……」

 ノルズだった。

 そしてティエラの頭を抱え上げ、優しく膝枕をする。

 いたわるように、ティエラの頭を撫で……

「人間よ、名はなんという?」

 その質問が自分に向けられたものだと気づき。

「シルス」

「私は剣の精。ノルズというもの。共に魔王を倒しに行かぬか?」

 ノルズが言った。

「何故?」

 シルスが答えた。

「人を魔物に変え、世界を乱す者がいる」

「行かないと言ったら?」

「死んでもらう……」

 ノルズは悲しい瞳をしてそう言った。

「殺せばいい……」

 するとシルスの身体は四散した。

「幻影だ。殺しはせぬ……」

 気がつくと、シルスは片足を縛られ逆さに吊られていた。

 腕は背中で縛られ、頭の下には千尋の谷が広がる。

「どうだ。気は変わったか?」

 シルスの目の前に、宙に浮いたままのノルズが現れた。

「断る」

 ノルズの手刀が一閃し、シルスを吊るした綱を切る。

 恐怖。

 気がつくと、シルスの周りには小さな甲虫の群れがおり、次々にシルスの身体に取りついて行く。

 甲虫は肌を破ってシルスの肉体を食い進む。

「どうだ? 気は変わったか?」

「変わらん……」

 冷や汗が滲む。

「そうか……」

 シルスは小さな家にいた。

 飾らない内装。飾らない家具。木製のテーブルには、シルスが殺した男がいた。

 その側には剣の精の娘がおり、お茶を飲みながら仲良く笑い合っている。

 暖かい空気。和やかな雰囲気。シルスの前にもお茶が出され、扉の開く音がした。

「父さん!?」

 扉から現れたのは、シルスの父親だった。

 シルスは子供の姿をしていた。

 シルスの父は椅子に腰掛け、ティエラやノルズと共に、楽しげに談笑している。

 また扉が開き、シルスの母、友人、村人たちが入って来た。

 そして談笑が始まる。

 とても楽しそうで、とても幸せそうで……

 いつの間にかシルスは泣いていた。

 声を上げて。

 目を開けると、暗い森にいた。

 側にはノルズがいる。

 死んだティエラに膝枕をしてやりながら。

「皆で仲良く楽しく。それがこの方の夢だった」

「何を、すればいい……」

「そう、まずは、修行から」

 暗い森の中。

 硬い大木の前に立ち、拳を打ち込むシルス。

 何度も何度も。

 皮膚が破れ血が滴る。

 その後ろ。

 少し離れた所にノルズがいた。

「どうだ? 少しは悟ったか?」

「まあな……」

 森の中。

 シルスはたたずみ、その正面少し離れてノルズが立つ。

 漆黒の弓を構え、無言で漆黒の矢を放つ。

 風を切る黒い閃きを、姿勢も変えずに右手で掴む。

 矢は胸の直前で止まる。

「見事です」

 表情も変えずにノルズが言う。

 森の奥。

 漆黒の弓を引き絞り、漆黒の矢を射るノルズ。

 その弓も矢も、彼女の髪が変化したものだそうだ。

 矢は魔物の身体を貫き、絶叫がほとばしる。

 黒の剣を構えるシルス。

 剣を一振りすると、魔物の一体が塵に還る。

「何か、救う方法はないのか……」

「言ったはずです。殺してやることが救う道だと」

 ノルズが答えた。

 漆黒の弓で魔物を倒しながら続ける。

 人々を魔物に変えた者を、倒せばよいのです」

「だから、倒しに行くって言ってるじゃないか! 今すぐにでも!!」

「まだ、無理です」

「あの人はどうして倒しに行かなかったんだ!?」

「それは……いずれ分かる……それよりも、己の無力を嗤うがよい」

 どれほど時が経っただろう。

 シルスの身体は傷を受け、気を抜くと傷口から魔物に変わって行く。

「変化の呪文では抑えきれない……」

 額には汗が滲み、傷口から変化した肉体を引き千切る。

 魔物の血に汚れた鞘を持ち、魔物に変わりかけた身体を引きずり赤の神殿に向かう。

「見事です」

 後ろからかかった声に振り返る。

 そこには剣の精ノルズが浮かんでいた。

 シルスは微笑を浮かべながら、言った。

「早かったな」

 ノルズが剣を上に向けると、闇の糸が放射状に乱れ飛び、無数の魔物を貫いて行く。

「お前の試練は意地が悪いと、誉められたことがある」

 無表情にノルズが言う。

 シルスは苦笑しながら片手を挙げて、返事の変わりにした。

 闇の中、廃墟の町をシルスが走る。

 風のように。

 冷気の剣を振るうたびに、街が凍る。

 その剣に触れたもの全てが。

 魔物たちの間をすり抜けながら、剣を振るう。

 後には、彫像のように凍りついた魔物を残して。

 正面の道が魔物の群れで埋めつくされる。

 飛び来る無数の火球を、あるいは除け、あるいは剣を閃かせて斬る。

 そのまま動きを止めずに走り、魔物の肩に跳び移り、さらに廃屋の屋根に跳び移る。

 そして赤の神殿に向かい走る。

 屋根から屋根に跳び移り、魔物の攻撃を避け、斬り弾く。

 空に現れる翼ある物の羽を斬り、槍を持つ物、剣を持つ物、斧を持つ物をその得物ごと両断する。

 赤の神殿は近い。

 屋根から身を投げ、風に乗ってふわりと飛ぶ。

 神殿の壁に取り付き、掌を当てて気を込める。

 衝撃が生まれ、外装が内側に向かって潰れ飛ぶ。

 ある村にシルスという名の少年がいた。

 艶のある黒い髪を持ち、物腰もおとなしい。

 その日シルスは親友のギース少年と、小川で釣りにをしていた。

 二人共中々の美形である。

 赤毛のギースが空を見ながら言った。

「青い空、白い雲の流れ。友と共に貴重な少年時代を遊び暮らす。感動するよな」

 そう言って親友の肩をぽんと叩く。笑いながら。

「ねえギース。人は死んだらどうなっちゃうんだろ。人間の一生って何なんだろ」

 ギースは哲学的なシルス少年の問いを一笑に付す。

「相変わらずシルスは暗い奴だなあ。そんなこと考えてもしかたないだろ。俺は今が楽しければそれでいいぞ」

 脳天気な親友の言葉に、シルスはため息をつく。

「て゛もな、シルスが将来どんな偉い奴になっても、俺はいつまでも親友でいてやるからな。安心しろ」

 シルスは軽く微笑んで応える。

「そういうのって、普通偉くなる予定の人が、そうならない予定の人に言うセリフじゃないの?」

「そうは言うけどな。地位の無い奴が地位のある奴に優越感持って話しかけるのって、結構根性いるんだぜ」

「分かった分かった。それがギースの持ち味だよ」

「この俺様に向かって偉そうな返しだが、シルスだから許してやる」

「ありがとね」

 シルスはいつも、ギースとのやり取りに笑ってしまう。

 ギースはガキ大将で、村の悪ガキを集めて、シャレにならないような悪事をよく働いた。

 しかし弱いものイジメだけはしなかった。

 横柄なのに、女の子にも人気があった。

 シルスはそんなギースが好きだった。

 ギースも哲学的なシルスに、一目置いていた。

 ありふれた少年時代の風景。

 いつもの夕暮れ。

 釣竿と、獲物の入ったバケツを持ち、家路に向かう。

 村の方の空が赤い。

 夕焼けのせいだけではない。

 二人は顔を見合わせると、きちんと道具を草むらに隠してから、走った。

 それがかえって慌てていた証拠だったろう。

 道具なんてどうでもよかったのだ。

 *

 村が燃えていた。

 家々は炎を上げ、火の粉が飛ぶ。

 通りには多くの人が倒れていた。

 駆け寄ってみると、死んでいた。

 死因は火事ではなく、一刀の元に斬られていた。

 少年の心に不安が広がる。

 小さな村なので、皆顔見知りだった。

 二人は神に祈りながら先を急いだ。

 夜空に映える炎を背に、一人の男が現れた。

 血の滴る漆黒の剣を手にした剣士。

 男の足元には、今しがた斬られた死体が一つ。

「父さん!?」

 シルスは死体に駆け寄り叫ぶ。

 側でギースが息を呑む。

 シルスは気丈にも、黒の剣士を睨みつけた。

 その姿を目に焼き付けようとして。

「私を殺しに来い……」

 剣士はそう言うと、闇の中に消えた。

 ティエラだった。

 焼け落ちて廃墟になった村の中。

 生き残ったのは、シルスとギースの二人だけだった。

 二人の家族も皆死んでしまった。

 先に立ち上がったのは、シルスだった。

「行くのか?」

 ギースが声をかけた。

「ああ」

「ついてってやるよ」

 しかしシルスはぶんぶん顔を振り、思い詰めた顔をして言った。

「最後に、ギースの笑顔が見たい」

「難しいことを言う奴だな……」

 それでも無理して笑顔をつくる。

 しかしすぐに眉をひそめて……

「シルス、死ぬな」

 シルスは首を振り……

「死なないよ。俺はこれからあいつを殺すことだけを考えて生きて行く。ぜんぜん前向きじゃないけどね。でも、ギースにはそんな人生似合わない」

「確かにな。なるほどなるほど。暗くなって損したぜ。はっはっはっは」

 ギースは無理に大笑いした。

 二人共無謀だと分かっていた。

「こんな状況で笑えるなんて、ギースらしいね」

 そう言ってシルスは微笑した。

「死ぬなよ」

「ギースこそ」

 そう言ってどちらからともなく右手を出して、力強く握手する。

 そして、そのまま反対の方向に歩き出した。

 交差したときに肩が触れ合う。

 早足になり走り出す。

 涙が溢れてくるのが分かる。

 でも互いに、友の前では強がっていたかった。

 ギース少年は旅に出た。

 彼は自分の無力さを知っていた。

 町を渡り、国を渡り、ギースは強くなる方法を探した。

 彼はシルスが強くなる前に強くなり、友の仇討ちにかっこよく手助けに現れようと目論んでいた。

 ギースは武術か魔術の達人を探していた。

 弟子になるために。

 図書館で強くなる方法を探ろうともした。

 彼は頭も良かった。

 しかし数多くの幻想を抱いては、いつも裏切られた。

「ここも違ったか」

 そうして殴り倒したエセ魔導師を後に残し、扉を閉める。

 あれから幾年かが過ぎ、ギースは青年になっていた。

「シルス、まだ生きてっかな」

 ギースは一見好青年だったが、手が早く、物事を楽観的に処理した。

 ラフな格好で腰に剣を差し、王侯貴族のように自信を持って歩いた。

 ある酒場では一人の男をつかまえて……

「なあ、あんたさあ、すげえ武術家か魔導師ってどこにいるか知らない?」

「魔導師? そんなものこの国には溢れ返っとるじゃないか」

「違う違う」

 そう言いながら、ギースは顔の前で手を振る。

「俺が言うのは本物の魔導師で、思い込みの激しい自意識過剰な、本当は何も知らないくせに、僅かな知識のカケラを後生大事にしまい込み、人から尊敬されることを当然だと思って疑わない! 時に憐れみすら感じるが、最後には殺意に変わってしまう、あの胸くその悪い連中のことじゃねえよ!!」

 途中からのあまりの勢いに、男は椅子からずり落ちる。

 そして冷や汗をかきながら。

「そりゃおめえ、そんなもの昔話の中だけだろ。戦争で魔術っつったら、たまたま勝ったら魔術の成功で、負けたら相手の魔術の方が強かった。火花が散るような派手な魔術なんて、今の世の中どこにもねえよ」

「そうなのか?」

「魔導師が炎の玉出したり、土人形操ったりして敵と戦うなんて、本気で信じてる奴なんていねえよ」

 ギースは考え込むように腕を組み……

「なるほど、昔話か。でかい街に行きゃ語り部くらいいるわな」

「いや、わしが言いたいのは……」

「ありがとよ!」

 ギースはそう言って不敵に笑った。

 ある国にジェフという名の有名な神官がいた。

 大昔のことを何でも知っているという。

 麗しい青年で、腰まで伸ばした青みがかった銀髪を、首の後ろでくくっている。

 ジェフの最近の趣味は料理だった。

 その国の中央には神殿があった。

 この神殿は国の成立よりも古く、その回りに街が作られたのが始まりらしい。

 神殿は大きなピラミッドで、その横に小さな居酒屋があった。

 店の扉が勢いよく開き、そのままの勢いで厨房に向かう一人の男の姿があった。

 ギースだった。

 ギースが厨房に入ると、、青銀の髪の青年が、一人でシチューを作っていた。

「こんな所にいやがった……」

 ギースはため息をついた。

 銀髪の男はギースに笑顔を向け、右手にお玉、左手に小皿を持ち、大鍋の前で味見をしていた。

「すいません。まだ仕込み中なんですが」

「客じゃねえよ!」

「では、どのようなご用件でしょうか?」

「その前に一つ。何で神官が居酒屋で料理作ってんだ?」

「食べます?」

「いや……その前に自己紹介だな。俺の名はギース。職業は旅の剣士だ。伝説に出てくるような魔導師を探している。あんたに語り部としての知識があるなら、本物の魔導師の居所を教えてほしい!」

「それはどうもご丁寧に。では私も自己紹介を……私の名はジェフと言います。見ての通りのコックですが、趣味で一通りのことは出来ます。あ、趣味で怠惰な生活なんかも出来ますよ」

 そして思い出したように。

「ジェフとシェフって似てますよね?」

「もういい……俺が悪かった」

 帰えろうとすると後ろから……

「私知ってますよ。伝説の魔導師」

 ギースはジト目で。

「ホントかあ?」

「それにしても、魔導師に会ってどうするんです?」

「倒したい奴がいるんだよ」

「魔導師ですか?」

「さあな。そいつは分からんが、とりあえず力が欲しい。困ってる奴がいたら、力になってやれるだけの力が」

「なるほど。分かりました。ではあなたに試練を与えましょう。これを乗り越えることが出来れば、あなたを弟子にしてあげてもいいです」

「悪い。神官の弟子になる気はないんだ、って。まて……神官ってもしかして強いのか?」

「すっごく弱いと思います」

「じゃあな」

 不機嫌にそう言って帰ろうとするギース。

「まあお待ちなさい」

 ギースの肩に手がかかる。

 振り払おうとして振り向くと、それはジェフの手ではなく、青銀色の髪の一部だった。

 ジェフの髪の一部が伸び、ギースの肩にポンっと置かれていた。

 目を上げるとジェフは元の場所でにっこりと微笑んでいた。

 シチューの味見をしながら。

「化け物かお前は?」

「酷い……」

「それはさて置き、ただの神官じゃなさそうだな」

「本職はコックですから」

「それはもういいから」

「そんな……」

「どの程度のものか、試させてもらう!!」

 ギースは一気に間合いを詰め、ジェフに上段から斬りつける。

 ジェフは紙一重で身体を左にずらし、右手の手刀で剣の腹を叩く。

 金属と金属のぶつかるような澄んだ音が響き、ギースの剣が半ばで折れた。

 ジェフは、勿論素手。

「魔術で返してくれ。頼むからよ……」

「いきなりなものでつい。でも、見た目の派手さには欠けますが、これも立派な魔術なんですよ」

「なるほど。体術に見せかけた魔術か」

「いいえ違います。武術も極まると立派な魔術なんです。道は色々あっても、極まるところは同じですからね」

「なるほど。誤魔化されてるだけのような気もするが、実力は本物そうだな。とりあえず弟子になってやるぜ。良かったな」

「甘いですよ。そんなに簡単に弟子になれると思っていたんですか?」

「さっき言ってた試練ってやつか? いいぜ。何でも言ってみな」

「ではまず、市場に行き一番良さそうな魚と、一番良さそうなお肉を買ってきてください。野菜はまだありますから」

「それってお使いって言うんじゃ……」

「いや私もね、基本はその人を気に入るかどうかだと思うんですけどね。一応伝統らしくて、形だけでも試練を与えないと、後でうるさい人がいるんですよ。どうでもいいのにねえ」

「まあ何でもいいや、ちょっと買ってくるぜ」

「今日はお祝いです。ああ! 私にもついに弟子が!!」

 そんな声がギースの背後から聞こえていた。

 しばらく時が流れた。

 青空の下、小川のせせらぎを聞きながら、柔らかい草の上に寝転がっているギースとジェフ。

 雲が流れている。風も心地よい。

「なあジェフ。いつになったら魔術教えてくれるんだ?」

「もう教えてるじゃないですか?」

「日向ぼっこがかあ?」

「のんびりするでしょ」

「たしかに」

 春の日差しが心地よい。

「なんか違わないか?」

「焦っても始まりませんよ。私の魔術の基本は呼吸法ですから。応用はそれからです」

「なるほど……」

「イマイチ納得してませんよね。いいですか、呼吸は生命力の源です。とても大切なものなんです。呼吸が止まると、人間って死んじゃうんですよ?」

「分かった分かった」

『こんな楽してて本当に強くなれるのか?』、そうギーズは思った。

 ジェフの厨房でギースは一人、大根、のような物を洗っていた。

 そこへジェフが顔を出し、言った。

「ギース、アトラ国で魔王が動き出しました。旅に出ますよ」

「は?」

 ジェフのいきなりな言葉に、ギースは何のことだかわからない。

「魔王? 何それ」

「よく伝説なんかに出てきて、あっさり倒されるあれです」

「ああ、あれ。そうか、前から人間離れしてると思ってたが、やはりな」

「何のことです?」

 静かにギースは剣を抜き、ジェフに向かって構えた。

 ジェフもそれに対抗するように、近くにあった大根、のような物を構える。

 二人はジリジリと間合いを詰めた。

「魔王覚悟!!」

「いいかげんに、しなさい」

 ジェフはギースの頭を殴る。

 大根、のような物で。

「なんだ、今日はゴッコ遊びじゃないんだ」

「違います。本物の魔王が動き出したんですよ。手下の魔物がそれはもうすごい勢いで広がっているらしいです」

「やっぱ嘘だろ」

 ジェフはいつの間にか、大根、のような物と、人参、のような物を二刀流に構え、静かな殺気を発していた。

「魔王、か……そいつは大変なことになったな。で、どうするんだ?」

 真剣な口調で問うギース。

「魔王を倒すには、伝説の武器が必要です」

「なるほど……で、囚われのお姫様はどうするんだ」

「待ちなさい。魔王に遭ったときのために、かっこいい前口上を考えるのが先です」

「そうか。そいつはうかつだったぜ」

 アトラという豊かな国があった。

 この国は始まりの地とも呼ばれ、古にはこの地に四振りの剣が伝えられた。

 しかし時を経て伝説の剣は散逸し、今では青の一振りを残すのみとう。

 この国では昔から、赤、黒、白、青の属性を持つ四神を祀るが、特に太陽が一年の四期を一周した、次の五番目ということで、夏の赤い神を、赤い黄金の五番目の太陽として主神に据えていた。

 この国の神殿は、古に存在したという赤、黒、白、青の神殿を模したピラミッド型で、各宗派により、それぞれの神殿を各色に塗っていた。

 この国では昔から、太陽と金星と蛇と鷲とを神の化身として神聖視している。

 アトラ国の王子の名はサーヴァと言った。

 金色の髪の美しい青年だった。

 彼は恋人を連れ、馬で散策に出た。

 二人は近くの木に馬を繋ぎ、柔らかい草の上に寝転がる。

 身体を伸ばし、空を見上げた。

 白い雲が流れて行く。

 ごろりと横を向き、ぽつりと呟いた。

「愛してる」

 ザーヴァの隣には、美しく着飾った女性がおり、大きなバスケットを持って座っていた。

 彼女の名はルート。

 金色の髪は長くて真っ直ぐだ。

「まあ、サーヴァ様ったら」

 木漏れ日の中微笑んで。

「わたくしもですわ」

「ルート……」

 ルートはバスケットを開け、ワインの入った皮袋を取り出して言った。

「ささ、ま一杯。おつまみもありますのよ」

 にっこりと微笑みながら。

「ありがとう」

 木々の間から小鳥の声が聞こえる。

 サーヴァは上半身を起こし、ワインの入った皮袋を受け取ると、一気に飲み干した。

「まあ」

 ルートは胸の前で驚いたように手を合わせる。

「おみごとですわサーヴァ様」

「お褒めにあずかり光栄です。お姫さま」

 ふいにサーヴァは立ち上がり、手近の木を登りだした。

「まあ。酔っ払ってますのね。ではわたくしも」

 そう言ってサーヴァの後を追うように登り出した。

 高い。

 枝に腰掛ける二人。

 正面からの微風が心地よい。

 サーヴァはそのまま後ろに倒れ、枝から落ちる。

「サーヴァ様!」

 慌ててサーヴァの腕を掴むと、引きずられるようにしてルートの半身が落ちる。

 ルートは両の膝を枝にかけたまま……

 逆さのルートに腕を掴まれ、宙に揺れるサーヴァ。

 サーヴァは気持ち良さそうに寝ていた。

 ルートの長い髪が逆さに垂れる。

「サーヴァ様と二人きり。幸せですわ」

 ルートはにっこりと微笑んだ。

 枝が折れた。

 大きな音を立てて、足をかけていた枝が落ちる。

「きゃあ~!」

 気がつくと、ルートはサーヴァに抱きかかえられて地上にいた。

 サーヴァが片目を閉じて微笑んだ。

「ご無事ですか? お姫さま」

「まあ! 寝たふりでしたのね!」

 拗ねてみせるルート。そして笑い出す。

 サーヴァもつられて笑い出す。

 そして時が止まり……

 唇が重なる。

 街には露天が立ち並び、果物や雑貨が山と積まれていた。

 露天の林檎に手を伸ばすサーヴァ。

 その側にはルートがいる。

 天気がいい。

「どこに行こうか?」

「サーヴァ様のお好きな所。サーヴァ様のお側ならどこへでも」

 はにかみながらそう答えた。

 林檎をかじるサーヴァ。

「何か欲しい物はないか?」

 サーヴァの持つ林檎を指差すルート。

 頬を赤く染めうつむいて。

 サーヴァとルート、二人はたわわに実る林檎の木の下にいた。

 二人は木に登り、枝に腰掛け林檎をもぎ取る。

 ルートは両手で林檎を持ち、幸せそうにかじった。

 その夜、太陽の国アトラの上空に、燃えるように赤い、巨大な神殿が表れた。

 神殿が輝くたびに、王城や街の一部が破壊される。

 王宮の庭を一人の青年が駆けていた。

 金色の髪。

 後ろには数人の祭司が続き、皆息を切らしていた。

 祭司の一人がかすれた声で叫ぶ。

「サーヴァ様! 早く剣の元に!!」

「わかっている! お前達も早く!!」

 石造りの神殿には、伝説の剣が祭られている。

 サーヴァはじれったげに。

「剣はまだか!」

「ただいまこれに!」

 祭司の一人が剣を奉げて小走りにやって来た。

 サーヴァは剣を掴むと、神殿を飛び出した。

 伝説の剣は即位の証でもあった。

 サーヴァは一人走った。

 王城も町も燃えている。

 空を赤く染め上げ、世の終わりが来たように。

 行く手には数体の魔物がいた。

 伝説の青の剣で切り裂く。

 魔物は苦痛の叫びを上げ、地にひれ伏す。

 それらは皆、兵士や宮女の服を纏っていた。

 サーヴァの一撃を、一体の魔物が剣で受け止めた。

 周りには、さらに多くの魔物が集まる。

 サーヴァは魔物に背を向けて走った。

「剣よ! 我に力を!!」

 しかし、剣は何も語らない。

 目の前に城壁が迫る。

 石壁に剣を振り下ろす。

 澄んだ音と共に剣が折れる。

 伝説の剣が半ばから……

 奥歯を噛む。

「何が伝説だ……」

 振り向くと無数の魔物がいた。

 人の衣装を身に着けて。

 サーヴァは魔物に向かって走る。

 折れた剣を手にして……

 屍に埋まる王城に、サーヴァの姿があった。

 折れた剣をぶらさげて、疲れたように歩いている。

 所々に血溜まりがあり、血の匂いが吐き気を呼ぶ。

 王城の中には女子供が籠もる場所があった。

 危機に際しての。

 しかし扉は破れ、中には誰もいなかった。

「誰か! 生きている者はいないか!」

「たす、けて……」

 石柱の陰で、かすれた声がした。

 駆け寄るサーヴァ。

 通路の血溜まりの上を走る。

 足が踏むたびに血が吹き上がる。

 柱に近寄ると男の子がいた。

 数体の魔物に食われているところだった。

 息を呑み、それでも踏み込んで魔物を貫く。

 半ばから折れた剣で。

 全ての魔物を倒し、男の子に近づく。

 男の子はもう死んでいた。

 血溜まりの中に膝をつくサーヴァ。

「俺は、どうすればいい……」

 王城の一室。

 窓際に寄り、外に目をやるサーヴァ。

 街は既に火の海。

 赤い巨大な神殿が、その中に降りてくる。

 壁に背をあずけ、床に座り込む。

 部屋の中は暗く、古びた調度がさらに重い。

 赤毛のギースとジェフの旅は続いていた。

 ジェフの駆る一頭のロバの牽く荷車の上で、寝転がっているギース。

 車輪の音と振動が響く。

「魔王退治に荷車かよ……」

「何度言えば分かるんです。美しい装備の馬で、美麗な衣装で気合を入れても、あっさり負けちゃったらどうするんです? 魔王に勝ったら買ってあげます」

 ジェフは魔導師風の服を着て、先端に水晶のついた杖を持ち、装いに気合が入っている。

 ギースは皮の鎧に安物の剣、安物の靴。

「死んだらどうするんだよ。あの時優しくしとけばよかったって、きっと思うぜ……」

「あっさり勝てるような相手だといいんですけどね。正攻法で勝てそうにないときには、奇策に走るのが一番なんですよ」

「奇策に走って勝てなかったらどうするんだよ」

「笑ってごまかします」

「しかし、魔王の話って本当だったんだな……」

「囚われの姫はいませんけど、本当ですよ。何です? 嘘だと思ってたんですか?」

「勝算はどれくらいあるんだ?」

「自信が無ければやめてもいいんですよ?」

「んじゃやめる」

「そんなワガママが許されると本気で思ってるんですか?」

「酷い師匠だ……」

 突然何かの爆発する音。振動が響く。

 反射的に身を起こすギース。

 ロバを停めるジェフ。

「何だ!?」

「魔物の気配がします」

 街道の側、木立の陰から一頭の白馬が飛び出した。

 全身を美麗な甲冑に包んだ騎士を乗せて。

 顔は兜に隠れて見えない。

 その後方に、数体の魔物を従えていた。

 騎士は抜き身の剣を持っている。

 すかさずジェフが、荷車に繋いだロバを解き放つ。

「ロバさん、出番ですよ!」

 ロバは、二本足で立ち上がり……

「ロバだからといって、甘く見るなよ」

 口をきいた。

 それを見た白馬の騎士が動揺する。

 その騎士の背中に、魔物の放った炎の球が炸裂した。

 騎士は背中を焼かれて落馬する。

 その背後から魔物の群れが近づいた。

 口から炎の球を吐くもの。

 体中から生えた長い触手を揺らめかすもの。

 獣のようなもの。

 その姿は多様であり、それぞれに恐ろしい姿を見せている。

 ロバが走る。

 二足歩行で。

 一体の魔物に近づき、蹄を相手の身体に密着させて気を込める。

 吹き飛ぶ魔物。

 滑るようにそこから移動し、魔物の火球を紙一重で肩先にかわし、蹄を叩き込む。

 振り向きざま宙空に跳び、回し蹴りで後ろに来ていた別の魔物の頭を砕く。

「強い……」

 ぽつり、とギースが言った。

「いやあ。これじゃ出る幕ありませんね」

 ジェフが言った。

 戦闘は終わった。

 ギースは物珍しそうに、倒された魔物を眺めていた。

 その側ではロバがしゃがみ込み、声を上げて泣いている。

 涙をだくだくと落としながら。

「ジェフ、この状況を説明しろ」

 ギースがジェフに目をくれず言った。

「それよりも、傷の手当の方が先ですよ」

 ジェフは背中に火傷を負った騎士を、荷車に運んだ。

 星空の下、焚き火の側に、若い女性が横たわっていた。

 白馬の騎士は、鎧を脱がせると女だった。

 腰まである金色の髪。美しい顔立ち。

「う、ん……」

「気がついたか?」

 焚き火の爆ぜる音がする。

「誰だ……お前は……」

「俺の名はギース。 焚き火の向こうにいるのはジェフ」

「いったい……」

「俺と連れとは旅の途中でね……」

「何があったのか教えてはくれまいか?」

 ロバが話に割って入った。

「そっ!?」

 ロバを指差す。

 焚き火を囲んでジェフ、ギースと寝かされた若い女。

 そしてもう一人。

 あぐらをかいて、焚き火にあたるロバの姿があった。

「ああ、紹介する。なんかよく分からんけど、ロバだ」

 ギースの紹介に、ペコリっと頭を下げるロバ。

「名前は、えと……」

「拙者、ロバさんと呼ばれたいでござる。なに、気ままな素浪人でござるよ。ここで会ったも何かの縁。困ったことがあれば、気軽に拙者達に申されるでござるよ」

「ジェフ、こいつ殴ってもいいかな?」

 ギースが言うと、ロバはキッ、とギースを睨んだ。

「あ、ああ……分かった。 私の名はルート。アトラ国の騎士で、王族の警護を生業としている」

 ルートはとりあえず、ロバを無視することにして状況を話すことにした。

「ある夜、巨大な神殿が空に現れ、魔物の大群が王城を襲った。国に戦乱の兆しはなく、兵士たちの警戒は緩かった。私も油断していた。私は異変を知り、私が警護を任されていた王子の元に向かった。しかし魔物は既に王城に侵入していた。そこで私は見てしまった。魔物と接触した兵士や女官達が、魔物に変わって行くのを」

「ちょっと待て、それってどういうことだ?」

 ギースが不審げに訊いた。

「質問はお話が終わってから受け付けますよ。ルートさん、続きを」

 ジェフにそう言われてギースは口を閉じる。

「私は魔物は伝染するのだと悟った。ならばこのまま闇雲に進めば、私も魔物になってしまう。これでは王子を守れないではないか。そう思った私は、甲冑に身を固めて魔物と直接接触するのを避けた。そして私は見た、王子が敵の神殿に連れ去られるのを! 私は装備を調え、可能ならば援軍を連れて王子を救いに行かねばならない! 以上だ」

「それでは、ロバさんが話すとややこしいので、私が補足説明しますね」

 ジェフが話し出した。

「魔物とは本来普通の人や動物です。それが不死の種に触れると、人の姿を保てなくなります。これが魔物です。魔王は不死の種を撒き、それは伝染して、このままでは世界中の生物が魔物に変化してしまうでしょう」

「えらく壮大な話だが……要は、その魔王をやっつければ丸く収まるわけだな」

 ギースは一人納得して一人頷いている。

 ルートは言った。

「我々が弱かったわけではない。魔物の爪や牙には人を魔物に変える力があり、魔物に変わらない者たちは、食われる。敵は際限なく増えるのに、こちには傷を負った者を救うことも出来ない……」

「辛いよな」

「勝負が見えた時、皆は死を選んだ……生き恥を晒しているのは私くらいのものだ。王子を取り戻しても、既に守るべき民もない……」

「要は倒せばいいんだろ。魔王って奴を。俺が倒してやるよ」

「お前が……」

「その顔はあまり期待してないな。ま、いいや。どのみち魔王を倒しに行く旅の途中なんだし」

「勝算はあるのか?」

「あります!」

 嬉しそうにジェフが言った。

「聞かせて、もらえないだろうか」

「それはですね」

 と言ってロバを指差す。

「ロバが人語を解することに比べれば、魔王を倒す方が簡単な気がしませんか?」

「拙者にはよく分からんが」

 そう答えたのはロバだった。

「ふふ、それもそうかもしれんな。ルートの顔に微笑が浮かぶ」

「それに伝説に出てくる魔王って、大抵勇者に倒されるものですからね」

「そうか、お前たちは皆、勇者なのだな。私も、勇者の一行に加えてはもらえまいか?」

「歓迎しますよ」

「俺も俺も!」

「拙者もでござる」

「よかった」

 ルートは笑顔でそう言った。

 ルートは鎧を荷車に積み、軽やかな衣装で白馬に乗っている。

 箙を馬に留め、剣と弓を携えている。

 その側をロバの牽く荷車が行き、ジェフとギースがそれに乗る。

 手綱を手にしたジェフに、ギースが話しかけた。

「なあ、ロバに悪くないか?」

「いつもそう言ってるんですけどね。ロバさんの趣味ですから……」

 ギースがロバに語りかける。

「ロバ……さん。辛くないか?」

「なあに。鍛え抜かれた拙者にとっては造作もないこと」

「そうか……疲れたらいつでも変わるから、言ってくれよな」

 その言葉にロバはダーっと涙を流す。

 嬉しかったらしい。

 ルートは空を見あげて目を細める。

「いい天気だ」

 空は青く微風が吹き、小鳥のさえずりが聞こえる。

 思えば緊張の連続だった。

 ルートは彼らの力量を疑っていたが、一人の夜を魔物に警戒し続ける苦痛よりは、ましだと思った。

 どうせ一人でも目指すつもりだった。彼らがどこまで生きていられるかは分からないが、夜眠れるだけありがたい。

 そんな打算があった。

 森の側を川が流れていた。

 ルートは浅瀬に入り、魚を突くために削った木の枝を構える。

 そして、岸で眺めているギースの足元に、色々な種類を投げてよこす。

 剣をしまうと弓を絞り、大きな川鳥を撃つ。

「さすが!」

 ギースが言うと、照れたように微笑んだ。

 料理は毎回、ジェフが楽しそうに作っていた。

 ロバは木陰で気持ちよさそうに寝ている。

 食事が終わると焚き火を囲み、ジェフがどこからか青銀の竪琴を取り出した。

 ルートがそれを取り、ジェフはまたどこからか青銀のフルートを取り出す。

 ロバは朱塗りの盃に酒を酌み、一人でちびちびとやっていた。

 ギースは寝転んで空を見上げて……

「何か来る」

 そう言った。

 赤い星がだんだんと大きくなり……

「竜だ。赤い竜」

 ルートはジェフに竪琴を返し、剣を帯び、箙を負い、弓を構えた。

 ジェフは目を瞑ったまま、フルートを吹いていた。

 ロバも構わずに酒を呑んでいる。

 ギースは寝転がったままで言った。

「ジェフ」

「何です?」

 フルートを口から離し、応える。

「感動した。竜って本当にいたんだな」

 物語に出てくるような真紅の竜が、翼をはためかせながら降りて来る。

 ジェフが答えた。

「残念ながら、敵です」

 風が吹き荒れる。

 竜の翼が強風を生む。

 焚き火の炎が風に流されながら、大きく燃え盛った。

 ルートは焚き火の側に弓を置き、風に飛ばされないように片足で踏む。

 そして剣を抜き構えた。

 ギースも立ち上がり、ロバも酒を置く。

 ジェフは水晶球の付いた杖を手にして立ち上がった。

 竜の足が地面に着き、その背には一人の男が乗る。

 赤黒い甲冑と赤黒いマントを着け、腰には剣を帯び、兜はつけず。

 堂々たる体躯に意思の強そうな眼。

「魔王を倒しに行くのか?」

 男が言った。

「そうだ」

 ギースが答える。

「やめておけ。我等の邪魔はするな」

「嫌だと言ったら?」

「ならば、力づくで押し通す。行け」

 男の言葉に竜が駆ける。

 ジェフに向かって。

 ギースはジェフの側に走り寄り、ジェフを庇うように竜に向き直り剣を抜く。

 さらにそのギースの前を、竜に向かってルートが走る。

 竜と接触する直前、紙一重で左に避け、そのまま流れるような動きで男に向かって斬りつけた。

 それはまるで、風が障害物に当たり、そのまま後ろにすり抜けるように。

 男は死角から飛び出したルートの剣を、抜刀して受ける。

 男の剣は炎のように赤かった。

「名は?」

 男が尋ねる。

「ルート」

「我が名はカリツァー」

 その言葉を待っていたかのように、ルートの刀身が折れて飛んだ。

 赤い竜がギースに迫る。

 竜が一声吼えた。

 すると地面を破って無数の人型の炎が現れた。

 炎の魔神達。

 ギースは側に現れた一体を斬るが、手応えがない。

「剣が効かない!?」

 赤い竜がギースに炎の息を吐く。

 反射的に跳び退こうとしたギースは、後ろにジェフがいることを思い出し、踏み留まる。

 竜の炎がギースを飲み込もうとした時、背後のジェフの髪が伸び、ギースの身体を包み込む。

 竜の鉤爪がギースを襲う。

 しかし金属の打ち合うような音と共に、ギースを包んだ青銀の髪に弾かれた。

 ロバは炎の魔神達を当たるを幸い打ち倒して行く。

 素手で。

 竜はロバを一瞥し、一声吼えると大地が消えた。

 竜を中心にして、ロバの足元まで。

 炎の魔神達も皆落ちて行き、大地だけが再び戻った。

 何もなかったかのように、草が生え、焚き火の炎が闇を照らす。

 ルートは折れた剣を手に、たたずんでいた。

「なぜ、殺さん……」

「女は殺さん主義だ」

「馬鹿にするな!」

 ルートは振り向きざま、折れた剣をカリツァーに投げつけ、そのまま背を向けて焚き火の側に走り寄る。

 そこにあった弓を取り上げ、箙から矢を抜き出す。

 カリツァーは折れた剣をあっさりと躱し、ルートの動きを面白そうに眺めた。

 ルートは焚き火の中の赤く赤熱した薪に矢を突き刺し、カリツァーの頭上に投げ上げた。

 カリツァーが思わずそれに目をやると、ルートは間髪を入れず矢を放った。

 カリツァーはそれを予想していたかのように、自分に向かうはずの矢に目を向ける。

 が、予想した所に矢はなかった。

 矢はカリツァーの頭上の薪を射抜き、火の粉がカリツァーに降る。

 一瞬気を取られたカリツァーのこめかみをギリギリかすめて矢が過ぎた。

「わざと外したな……」

 ルートが微かに微笑みながら言う。

「男は殺さん主義でな」

「気に入った! 次回は本気で行かせてもらう」

 カリツァーはマントを翻し、虚空に溶けこむようにして消えた。

 漆黒の闇の中に、炎の竜がいた。

 上も下もない空間。

 炎の魔神は皆消え、ジェフの髪を解かれたギースが、そこにたたずむ。

 ジェフとロバもそこにいた。

 竜が言った。

「久しぶりだな」

「ご無沙汰です」

 ジェフが答えた。

「知り合いが?」

 ギースが訊く。

「古い友人ですよ。今は敵ですが」

「そう言うな……」

 竜が言った。

「もう手遅れなんですか?」

「我れは下向きの螺旋を下っている。もう既に理性が尽きかけている。時間がない」

「私達に勝てると思ってるんですか?」

 竜はちらりとロバを見る。

「正直きついな。しかし我が主人の願いとあれば、試してみてもいい」

「怒りますよ」

 ジェフの髪が揺らめく。

「たしかに……正攻法では分が悪いようだ。機会があればまた会おう」

 竜の姿は消え、ギース達の足元には大地があった。

 近くにはルートが、遠くを見つめて立ち尽くす。

 焚き火を囲んで座りなおし、ギースが口を開いた。

「どういうことなんだ?」

「ついにこの日が来ましたか」

 ギースの向かいに座り、ぽつりと深刻そうにジェフが言った。

「待て、一つだけ言っといてやる。深刻になるなよ。俺そういうの苦手だから」

「はあ。実は、あのドラゴンの成れの果てが邪悪な魔王です。以上」

「以上って……それだけじゃよく分からん。もう少し深刻に頼む」

「えっと、ですね」

 ジェフはちょっと考えながら。

「伝説の四振りの剣は知ってますよね?」

「ああ。一応神官の弟子だからな」

「本業はコックですけど」

「料理を教わった覚えは……あるな。 いやすまん、本題頼む」

「四振りの剣の内、赤の剣の精霊があの竜で、赤の剣の所有者があの男です」

「名を、カリツァーと言った」

 ルートが口をはさむ。

「それで、何であいつらが魔王になんかなったんだ? そもそも魔王ってなんだ?」

「正確には、彼らはまだ魔王と言う訳ではありません。魔王というのは今のところ、自称です」

「そこんとこもう少し分り易く」

「私も詳しい経緯は知らないんですが、彼らが魔物拡散の原因であることはわかっています」

「ほう? 奴らは何でそんな馬鹿なことしたんだ?」

「なんか、世界中の人に不老不死を与えようとして、失敗したみたいです」

「そんなことが可能なのか!?」

「可能ですよ。ただ、不死は可能でも、不老と連動させるのが難しい。そもそも不死を伴った不老の定義とは何だと思います?」

「え~と、成長を停めることとか?」

「いえ違います。不死を伴った不老の定義とは、常に同じ姿に変化し続けることです。彼らが多くの人に不死を与えても、多くの人はその姿を維持することが出来なかった。それが魔物の溢れた理由です」

「奴らはなんで、そんな不完全な物を人間に与えたんだよ?」

 彼らには、人が瞬時に肉体を変化させる力を得て、さらにその人自身の姿を維持するのが、こんなに困難だとは思わなかったんでしょう。私も知りませんでした。彼らは結果的に大規模な人体実験を行なってしまったんですよ。結果最悪の。つまり、人類のほとんどにおいて不死は早すぎたということです」

「知らなかったじゃあ済まないだろ。どう責任取るんだ?」

「肉体の変化速度は、左回りの螺旋階段を登るようなもので、副産物としては知性の向上を伴います。つまり、大量に増幅し続ける魔物達から不死を奪うには、彼らの知性レベルを下げる必要があるわけです」

「ちょっと待てよ。どう見ても魔物に知性なんてないだろ」

「いいえ、逆です。知性が高まりすぎて、自らの肉体を制御できなくなってるんですよ。肉体は置いてきぼりというわけです」

「あれで、知性が高いのかよ」

「いいえですから、彼らの知性はすでに別次元なので、残された肉体のことなんて考えてないんでしょうね。だから、魔物の姿になんてなるんです」

「まあよくわからんが、それで魔物の知性を下げられたら、元に戻るのか?」

「いえ、人間レベルの知性は肉体に戻りますが、今度は逆に、肉体を自由に変化させる能力を失います」

「それって……」

「つまり、彼らは魔物の姿のまま、魔物の寿命と人間の知性とを持った存在になるわけです」

「うわ。結局悲惨じゃねえか……」

「奴らの目的はそれなのか?」

「多分そうです。ただ、これにも問題があります」

「今度は何だよ?」

「この地域の大多数の人間が魔物に変わってしまったとはいえ、この世界には魔物に侵されていない地域も当然残されていますよね? その状況で魔物の不死レベルを下げるということは、つまりそれに伴う知性レベルも下がるということです。つまり、世界中の魔物に変化していない人間達が、野生動物レベルにまで知性が低下するということです」

「ちょっと待て、もしかして俺の知性レベルってもう下がってるのか? なんか話がややこしく感じるのは、本来の俺の知性なら簡単に理解できるのに、俺の知性が下がっているから理解しにくいんじゃないのか!?」

「いえいえ、あなたは元々こんなものですよ。自身を持ってください」

「そうか、そんならいいや」

「それに、例え全ての人間の知性レベルが下がってしまっても、二つだけ影響を受けない方法があります」

「ほう、そんな便利な方法がね」

「一つは、伝説の剣を手にすることです。そして二つ目は、あなたが伝説の剣になることです。まあ二つ目は、かなり永い時間が必要なので、今回は無理なんですけどね。それより、今までのお話はだいたい理解できましたか?」

「つまり、魔物が人間レベルになって、人間が猿レベルになるってことだろ」

「そうです。増殖し続ける魔物を全て滅ぼし尽くす事が不可能なら、彼らの方法は多分最善です。最悪の中の最善ですけどね……」

「ちょっと待て、もし奴らの方が最善なんだったら、俺たちは何のために奴らを倒しに行くんだよ!?」

「いいですか、仮にあなたが自身の知性レベルを自由に下げられたとして、知性が下がり過ぎた場合に、どうやってそれを止めるんです? それを判断する知性はもう無いんですよ?」

「そうか……知性が下がりきって、善悪の判断も出来なくなるから魔王なのか……俺達はそいつを止めに行くんだな……」

「はい。そうしないと、終点のない知性レベルの低下が、世界をとんでもない状況にしますからね」

「あれ、じゃあなんで俺たちはアイツらと戦ったんだ? まだ戦わなくてもいいじゃん」

「彼なりの最後の別れなんですよ」

「あれが!? それって、ジェフの勝手な想像とかじゃないの?」

「いえ私たちは根っこの部分で繋がっているので、特に隠そうとさえしなければ、大まかなことは分かるんですよ……ただ、剣の所有者の意向までは、量りかねますが……」

「どういうことだ? あいつらとジェフはどういう関係なんだ?」

「そうですね……あの赤い竜が一振りの剣の化身だというのは分かりましたね?」

「ああ」

「ということは、あとの三つの剣にもそれぞれの化身がいるわけです。ということはつまり……」

 ジェフはそう言いながら、手を首の後ろに回し、青銀の髪の中から一振りの剣を取り出した。

「いやあ」

 照れながら、青い刀身の剣を差し出す。

 そこに、今まで話に耳を傾けていたルートが割って入った。

「それは!? 伝説の青の剣はアトラの神殿に祀られていたはず!? なぜお前が!!」

 ルートが叫ぶ。

「はい。私が青の剣の化身のジェフです」

 ルートとギースは息を呑み、ロバは遠くを見つめている。

「伝説の剣が何でコックなんかやってたんだよ……」

「いや、なかなか気の合う方がいなくて、気晴らしに旅に出て数百年。まさか留守中に国が滅びるとは思いもしませんでした」

 ルートはゆっくりと剣を抜き、ジェフの首筋に当てる。

 悲しそうな眼をして……

「悪いのは、お前か?」

「否定してほしいから問うのでしょう?」

 ジェフは静かな眼をして答えた。

 ルートは鞘に剣を収め、眼を閉じる。

 そして、何かを了解したように静かに眼を開いた。

「それはそうと、この剣はギースに差し上げましょう」

「え……俺が伝説の剣の持ち主……」

「違います。あなたは私の弟子なんですよ。私があなたの持ち主です」

「ああ。なんかよく分からんけど、わかった……それで、残りの剣がどうなったかは分からんのか?」

「残りの剣ですか? そうですね……伝説の黒の剣は行方不明のままですし……」

「黒の剣!?」

 ギースが叫ぶ。

「どうかしましたか?」

「俺の村を襲った奴が、黒い剣を使っていたが……あれか……」

「今どこにいるかは分かりますか?」

「いいや、もう十年以上も前の話だ……いや、ここで深刻になっちゃ俺じゃねえぜ。そういえば、伝説の剣ってもう一本あるんだよな? 今どこにあるか分かるか?」

「さあ、私には何とも。まあ気が向いたら出て来るでしょう」

 と言って、ジェフはロバの方をじっと見つめる。

 慌てて眼を逸らすロバ。

「まて、じゃあまさかロバさんも!?」

 ギースが叫ぶ。

「いいえ、拙者はただのロバでござる!」

「なんでロバが喋ってんだよ! おとなしく正体を吐きやがれ!!」

「まあまあ。世の中不思議なことってたくさんあるんですよ」

 ジェフが仲裁に入る。

「はあ~。しゃあねえなあ。正体はみんなにバレバレだってのに、みんなで知らないふりをしてろってことか」

「ロバさんにはロバさんの考えがあるんですよ。きっと」

 そう言って片目を瞑るジェフ。

「ま、いいや。とりあえず当面の目的は、魔王に囚われた王子様を助けだす。これだな」

「そうですね。今回の戦いにはどのみち正義はありませんから。なので、自分達の掌で掬えるだけで満足することにしましょう。砂漠の中で、指の間からこぼれ落ちる砂というのは、どうしようもありませんから」

「ま、何もしないよりはましだな」

 ギースはそう言って立ち上がり、少し離れて横になる。

「私達も少し休みましょう」

 ジェフの声が聞こえた。

 闇の中にオレンジ色の焚き火が爆ぜる。

 炎の番をするジェフ。

 耳を澄ませば小川のせせらぎ。

 ときたま思い出したように、川面に魚の跳ねる音。

 虫の声。精神的なぬくもり。

 しゃがみ込んで水面を見つめるルート。

 まだ日は高く、水面は鏡のように空と雲を映し出す。

「何か悩み事でござるか?」

 ロバが後ろから声をかける。

 遠くを見つめるルート。

「私は魔物に変わったこの国の民と、未だ魔物に変わらないこの国の民を見捨てておいて、私の愛する方を救いに行く。それは、民に対する背信ではないのか? しかも私は、あの青の剣が私の愛する方の手にあればと、今も思っている……」

 金色の髪が風に揺れる。

 その背中を蹴りとばして、川に落とすロバ。

「きゃあ!」

「拙者、シリアスは苦手でござるよ」

 焚き火の側で髪を乾かすルート。側には誰もいない。

 はずだった。

 ルートの背後に殺気が生まれる。

 振り向くと、手頃な枯れ枝を振りかぶったロバの姿。

「おみごと! では、拙者はこれにて……」

 振り返ってそう言い、歩き出そうとするロバ。

「ロバさんは、私のことが嫌いか?」

 ロバは足を止める。

「ルート殿は、悔しいのでござろう? 己の無力さが……本当は、誰にも負けたくはないのでござろう?」

 ルートは情けなさそうな表情で。

「まあな……」

「ルート殿は、なにゆえ髪を伸ばしているのでござる?」

「長い髪を、気に入ってくれた方がいた……」

「その者はルート殿の美しさに惹かれたのでござるか? それとも、その内面に惹かれたのでござろうか?」

「どちらでもよかろう……私が、その方に惹かれていたのが事実ならば……」

「では、その者の姿が醜ければ、ルート殿の気持ちは……」

「あの方を侮辱するな!!」

 剣に手をかけるルート。

 それでも動じずに語るロバ。

「ならば、拙者のこの姿をどう見る?」

「どう、とは……」

「もし、拙者が美しい若者であれば、ルート殿の拙者に対する態度に、変化は現れるでござろうか?」

「何を、言っている……」

「もし、ルート殿が醜く、下賎な生まれで、不器用、財産も無く、声も醜く、知識無く、人に誇るところが何もなかったなら、もし今、その手足を失い、耳も眼も失い、誰の役にも立てずに人から疎まれ、誰にも褒めてもらえず、誰の愛情も受けず、悪臭を発し、人に不快感を与えるようになれば、それでもルート殿は生きていられるか?」

「それは……」

「それでも変わらずに生きられる者こそ、真の勇者なのだ。これを見よ!」

 そう言うと、ロバの身体は輝きを発し、次の瞬間バサリっと毛皮が地面に落ちた。

 そしてそこには、花のように美しい少女の姿があった。

 白銀の長い髪。整った顔立ち。可憐で気品がある。

「これがあたしの本当の姿よ。ジェフに頼んでギースを連れ出してもらったのは、この姿を見られたくなかったから」

「な!?」

「だって、お洋服これしか持って来てないんだもん」

 と言ってロバ皮を指差す。

「ど!?」

「それはね。もうバレてるだろうけど、実はあたしも剣の化身の一人なわけよ。本当はね、どっかの街でかわいい女の子の生活しときたかったんだけどね。どっかの馬鹿が魔王とか言い出すもんだから、ほっとけなくなっちゃったの。でね、私たちの本当の力は強すぎて、本気で戦うとこの世がやばいのよ。そこであたし達が戦う時には、制約のある剣の器を通して戦うことになってるの。つまり、人間の相棒にその身を預けて、あと任せるのが本来の私たちの取り決めってわけ。まあだから、その剣を使う人間が、大きな器であればあるほど、大きな力が使えるわけなのね。まあ上限は剣の器を超えられないんだけどさ。だから、あなたには大物になってもらわなきゃならないの。がんばってね!」

 一気にそっ言って、にっこり微笑む。

「いやあ、いい天気ですねえ」

 ジェフが言った。

 川の縁に座り、枯れ枝に釣り糸を結びつけて、垂らす。

「話があるんじゃなかったのか?」

 ギースも釣り糸を垂れて訊く。

「何の話です?」

「何の話なんだ?」

「……人間はどうして人間の姿をしていて、他の動物はどうしてそれぞれの姿をしていると思います?」

「それは、生まれた時からそう決まってるからじゃないのか?」

「では、その姿を自由に変えられるとしたらどうです?」

「それが魔物なんだろ?」

「彼らには制御ができないんですよ。例えば、心に思い浮かべた形に肉体が変化するとしたら、定期的に自分の姿を思い浮かべていないと、何か新しい物を目にする度、何か新しい想像を思い浮かべる度に、肉体はそれに似せて勝手に変化してしまいます。形を制御出来ずに激しく変化し続けるなんて、癌細胞と同じですよ」

「何だそりゃ」

「つまりですね。正しい不老不死とは、常に同じ姿に変わり続けることで、それ自体が悪いことではありません。ただ、この異常な状態に耐えられる人はあまりいないということです。そこで自分の姿を規定し続けるために、剣が必要になるんです」

「なんかジェフって、宗教家みたいだな」

「まあ趣味で神官もやってますから」

「ああ、俺も不老不死んなって、飽きるまで毎日釣りでもしたいね」

「いえ、ですからギース、あなたは私の剣を受け継いだ瞬間から、既に不老不死なんですって……」

「なにい!? なんだと、俺は死ねない身体になっちまったのか!?」

「いいえ、殺されたら死にますよ、普通に」

「なんだそりゃ」

「だから、腕の一本や二本切り落とされてもすぐに再生しますけど。再生が間に合わない場合死にます。なので、頑張って即死しないでくださいね」

「そうか、まあ考えてみりゃ、気楽な不死だよな。死なない限り生きられる」

「あと、剣は自分の本来の姿を思い出すきっかけに過ぎませんけど、それでも剣に触れていないと、ギースの再生レベルはただの人間レベルのままなので、出来るだけ手放さないようにしてくださいね」

「そういえば、この前俺が伝説の剣になれるとか言ってなかったか? 今回は時間がないから無理とか」

「はい。所詮剣とは言葉の比喩で、要は呪文に形を与えただけのものですから。強力な呪文の代用品が剣であるなら、剣がなくても呪文があればいい。ただ、呪文を強力にするには時間が必要なんですよ。同じ呪文を唱えても、螺旋階段の地下5階に暮らす人と、螺旋階段の地上20階に暮らす人とでは、見えている世界が違いますから。要は伝説の剣とは、地下深くの暗い場所で暮らしている人を、強制的に塔の上部に連れてくるようなものですから、聞いてますか? あっ、寝てる…………しかたありませんね」

 言って微笑むジェフだった。

 焚き火の側で濡れた身体を乾かしていたルートの前で、可憐な少女の講義は続く。

 胸元をロバの皮で隠しながら。

「……というわけで、世界には赤、黒、白、青、四つの本質に模した様々なな象徴が伝えられたの。分かった?」

 とりあえず、こくこく頷くルート。

「あっそれから、これから私のことはヴェスって呼んでね」

「お~い。今帰ったぞ~」

 茂みを掻き分けて来るギース。

 後ろに続くジェフ。

 空は夕暮れ。

 振り向いた白銀の美少女と目が合う。

「や。やあ! これはギース殿、お早いお帰りで!!」

 少女の声で……

 ヴェスはハッ! と気づいて。

「や、やあねえ。あたしは通りすがりのただの美少女よ。ロバなんかじゃないわよ。ねえ」

 と言って、ルートに同意を求めるように笑顔を向ける。

 ルートは顔の前で手を振り……

「フォローになってない」

 とポツリと呟いた。

 ぽかぽかの陽気。空も周りの景色も、なぜかパステル調をしていた。

 林に囲まれた広場には、何故か黒板がある。

 黒板の前には白銀の髪の少女が立ち、魔導師服姿で講義をしていた。

 魔導服は白銀を基調にしたもので、自慢の髪から生み出したものらしかった。

 黒板には白いチョークで、ペンタグラム、十字架、入れ子式の四重の円、上向きの三角形、下向きの三角形、ヘキサグラム、太極図等の図形と、36、72、108、144、666等の数字が描かれていた。

 あと、可愛くデフォルメされた蛇と鷲、等々……

「……以上です。何か質問は?」

 黒板の前には切り株に腰掛けた、ルート、ギース、ジェフ、ウサギ、クマ、白馬、リス、カメ、ハリネズミ、この辺でやめておこう……

「先生」

「はいルートさん」

「この動物達は何です?」

「先生はね、暗い雰囲気は嫌いなの。分かった?」

「先生」

「はいギースさん」

「こんな所でのんびりしてていいのか? こうしてる間にも、被害は広がる一方だ。とっとと行こうぜ」

「この未熟者! 未熟者! 未熟者! いい? 物事はもっと深刻に考えなきゃだめなのよ。いきなりみんなでわ~って行って、わ~って簡単に勝てると思ってるの? もしあたしやジェフが途中でいなくなっちゃったらどうするのよ? 最後に残るのはその身一つなのよ? あたしが教えてる基本は剣がなくても使えるの! ちゃんと覚えなさい!」

「ぐぉ~!!」

「はい、クマさん。ふむふむ、なるほど。早く授業に戻ってくれって? では授業再会!」

 ギースはルートの肩をちょんちょんっとつつき……小声で。

「おい、この状況で深刻になれるのか?」

「難しいな」

「こらそこっ! 試練だと思って諦めなさい!!」

 ため息をついてジェフが呟く。

「こいつには勝てない……」

 一人、深い山道を歩くルート。

 長い坂を登る。

 道の両脇には草木が繁っていた。

 今は武器の類は何も身につけていない。

 いきなり巨大な岩が転がり落ちてきた。

 腰を落とし、素手で受け止めるルート。

 指先が岩に食い込む。

 気を込めて岩を投げ飛ばした。

 坂の上に白銀で作られた怪物が現れた。

 牡羊に似ている。

 ルートは正面に立ち、小石を拾い上げ投げつけた。

 小石は火花を散らし、牡羊の装甲に弾かれた。

 勢いを増しながら坂を駆け下りる牡羊。

 ルートは両手で牡羊の角を掴み、止めた。

 牡羊の足が地面を削る。

 ルートは右手を外し、手刀で牡羊の頭を砕いた。

「次っ!」

 ルートが叫ぶ。

 今度は坂の上に白銀の牡牛が現れた。

 二本の角を振り立てて、来る!

 ルートは身体を右に引き、通り過ぎる牡牛の背中に横から手刀を叩きこむ。

 腹を砕かれて牡牛が真っ二つに折れる。

 白銀の怪物たちは、製作者の趣味に似ず、どれも恐ろしい姿をしている。

 可愛い物が破壊されるのが嫌なのだろう。

「次っ!」

 ルートが叫ぶ。

 坂の上に白銀の怪物が現れる。

 今度は二人の男の姿をしていた。

 来る!

 一人は足技を、一人は拳を繰り出す。

 ルートは一人の回し蹴りを左の肘で止め砕く。

 もう一人の拳は、右の掌で掴み潰す。

 不敵な笑みを浮かべながら、 さらに二人の腰を両拳で貫くルート。

「次っ!」

 ルートが叫ぶ。

 坂の上に巨大な白銀の蟹が現れた。

 大きなハサミを振りかざし、ゆっくりと横を向く。

 来る! 速い!

 ルートは蟹の背に跳び乗り、甲羅の上に膝をついて、右の拳を叩き込む。

 砕かれる甲羅。

 肩まで沈み込むルートの右腕。

 蟹の動きが停まる。

 ルートは腕を引き抜き、今度は大きな蟹のハサミを根元から折り取る。

 そしてそれを頭上高くに投げ上げ、自らも高く跳んだ。

 空中で蟹のハサミに取り付き、ハサミの部分を下にして、甲羅の上に落下する。

 飯綱落し!

 ハサミに貫かれる蟹。

「次っ!」

 白銀の獅子が現れた。

 ルートに向かって来る。

 獅子は口を大きく開いてルートに跳びかかった。

 ルートは踏み込んで獅子の口に左の拳を叩き込む。

 拳は獅子の背中から抜け、そのまま動きを止めた。

 手を振り払い、獅子を投げ捨てるルート。

「次っ!」

 坂の上にヴェス本人が現れた。

 白銀の髪が風になびく。

 日の光の中、ゆっくりと坂を下りてくる。

 身構えるルート。

 ヴェスはルートの肩に手を置き……

「やるわね」

 ウインクを残してそのまま坂を下りて行った。

 目が点になるルート。

 しかし気を取り直して叫ぶ。

「次っ!」

 坂の上に巨大な天秤が現れた。

 勿論白銀で出来ていた。

 竿が回り出し、両端の皿が風を切る。

 皿の一つがルートに向かって飛んだ。

 時間差で、もう一つの皿も飛び来る。

 飛び来る一つ目の皿の上には、ヴェスが座っていた。

 魔導師姿をして、指を一本立てて言う。

「フライングソーサラー」

 吹き出すルート。

 しかし気を取り直して目を瞑り、集中する。

 一つ目の皿が頭上を過ぎた。

 そして二つ目の皿がルートの腹の高さ、目の前に迫る。

 目を見開き右足を振り上げるルート。

 前面の皿が縦に回転しながら、頭上高くに跳ね上がった。

 振り返ると、一つ目の皿が戻って来る。

 ルートに向かって。

 ルートは皿が身体に当たる直前、今度は左足を勢い良く振り上げた。

 砕かれた皿はそのまま二つに割れ、ルートの左右を通りすぎて、地面に突き刺さった。

 頭上高くに跳ね上げられた皿が落ちて来る。

 ルートは右手で皿の端を受け止め、天秤の竿に向かって投げつけた。

 両断される竿。

「次っ!」

 巨大な白銀の蠍が現れた。

 棘のある尾を揺らしながら、近づいて来る。

 ルートが走る。

 蠍の左をすり抜けざま、ハサミの一方を掴み、ひっくり返して山の斜面に叩きつける。

 蠍は己の棘に貫かれて動きを止めた。

「次っ!」

 白銀で出来た怪物は、半人半馬の姿をしていた。

 弓を持ち、ルートに向かって矢を放つ。

 ルートは流れるような動きで飛び来る矢の横に滑り寄り、右手で敵の矢を掴み取る。

 そして掴んだ矢を投げ捨てる。

 そして、半人半馬の怪物に向かって歩いて行く。

 さらに矢が飛び来る。

 涼しい顔をして紙一重でかわしながら、怪物の前まで来る。

 矢の尽きた怪物は動きを止めていた。

 ルートはそのまま怪物の横まで進み、宙に跳んだ。

 そして人型の背中の部分に回し蹴りを叩き込む。

 人型の部分が砕け落ちた。

「次っ!」

 小さな拳大の白銀の山羊が、とことこ歩いて来る。

 足元まで来たそれを、少しイラついた顔で踏み潰すルート。

「次っ!」

 坂の上に取っ手のついた白銀の瓶があった。

 ありふれた形。

 近づいて中を覗き込むルート。

 カラだった。

 指先で弾いてみる。

 金属の澄んだ響き。

 ルートはため息をつき、取っ手を掴むと投げ捨てた。

「次っ!」

 宙に浮かんだ白銀の魚。

 金属で出来たシーラカンス。

 鱗がキラキラと日にきらめく。

 身体をうねらせて悠然と近づいて来る。

 ルートは魚の横に回り込み、右の拳を魚の身体にめり込ませた。

 そして魚の中にあった、手近な装置をコードごと引きちぎりながら、抜き出す。

 するとあらぬ方向に漂いゆく魚。

 掴んだ装置を握り潰すルート。

 遠くで爆発する魚。

「見事よ!」

 ルートの目の前にいきなり現れるヴェス。

「次はなんだ?」

「おめでとう。ネタ切れよ。よく最後まで付き合ってくれたわ」

「って長すぎよ! 読んでくれる人の気持ちをもっと考えてよ!」

「これには読者の忍耐力を試すという、別の試練の意味もあるのよ。いいえ冗談よ。まあ多分削るわ。残っているはずがないもの」(ごめんなさい、残しました)

「とりあえず、あなたの修行はここまでよ。さあ囚われの王子様を助けに行くわよ!!」

「そうか。ついに……」

 川の縁で釣り糸を垂れるギース。

 隣には、これも釣り糸を垂れるジェフ。

「なあジェフ」

「なんです?」

「ルートの修行は進んでるかな。山篭りするとか言ってたけど」

「進んでますよきっと」

 日差しが心地良いので思わずあくびが出そうなジェフ。

 ため息をつくギース。

「魔王って、強いのか?」

「弱いですよ」

「えっ、弱いの!?」

 ギースはびっくりして、思わずジェフの顔を見る。

「以前の赤い竜の彼。話も分かるし、そんな恐い感じもしなかったでしょ?」

「いいや結構恐かったぞ? 俺はな」

「まあ私は付き合いが長いですからね」

「あいつが弱いんなら、あんときさっさとやっつければよかったんじゃないか? こっちにはヴェスもいたんだし」

「いえ、あの時の彼は強いですよ。私には相打ちの趣味はありませんから」

「さっき、弱いって言わなかったか?」

「彼はまだあの時、魔王ではなかったんですよ。そもそも魔王の定義とは、聖なる者が聖性を放棄することです。つまり、彼は魔物達の不死レベルを人間レベルにまで低下させるために、自らの不死レベルを極端に低下させようとしているんです。連動しているのでね」

「なんだ、やっぱりジェフって魔王だったのかよ」

「私はこれでも聖性を放棄したつもりはありませんよ!! ベスならともかく……」

「そうか、不死レベルが低下してくれるなら、楽勝だな」

「ただ、彼の不死レベルの低下を待つということは、それだけ魔物の被害を放置することにもなるんですけどね」

「どのみち世界中の人間は猿になるしかないんだろ。仮に今奴らを倒しても、今度は世界中の人間が魔物になって、永遠に生き続けるだけなんだろ……俺にはどっちがいいかなんてわかんねえよ」

「私にも本当は分かりませんよ、成り行きがどちらに転ぶかなんて。それでも、どちらかを選ばないといけないんです」

「なあ、もしかして……ジェフにも世界中の人間の知性を上げたり下げたりする力があるのか?」

「ありますよ」

「なにい!?」

「なんです?」

「じゃ、じゃあ、魔王が世界中の人間の知性を下げた後、今度はジェフが世界中の人間の知性を上げりゃあいいじゃん!?」

「だ、か、らぁ。すぐにそれをしたって、また今の状況に戻るだけじゃないですか。少なくとも魔物達が不死を失って、寿命が尽きて死に絶えるまでは、世界中は原始時代に戻るしかないんですよ」

「そ、そうなのか? でも、なんか少し安心した。いや、実際全然丸く収まってないんだけどな。それでも、ずっと原始時代のままってより救われた気分だ」

「まあ、それであなたの心が救われたなら、別にいいんですけどね。問題は、肉体の変質した魔物の寿命って、どのくらいなんでしょうね。植物なんかだと、へたすると何千年とか生きるじゃないですか? 前途は多難ですよ。 あと人類に知性レベルが戻ったとして、再び文化を与えるのは誰の役目だと思います? 私達の役目なんですよ。ああ面倒な……」

「いや、俺どんなに時間がかかっても、頑張るよ。それが俺の使命だ!!」

「そうですね。頑張りましょうか」

 そう言ってジェフは微笑んだ。


天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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