母の神経痛が再発した
4月後半に母が一人でトイレに行き、転んで頭を打ち、頭蓋骨内に血の溜まる急性硬膜下血腫で救急車で運ばれ、コロナの影響で受け入れ先が見つかるまで5時間くらいかかり、緊急手術で助かる確率は五分五分と言われたので即決し(医者の説明では、傷はたいしたことなくて、普通なら自然に出血が止まるところが、脳梗塞の予防薬の血が固まらない薬を飲んでいたので、脳の全体が片側に押し付けられるまで血が溜まって出血も続いていた)、頭蓋骨を外して血を抜く手術は成功するも、担当医の方針で口から食べさせてもらえないまま5週間、コロナの影響で面会は禁止、電話で患者と話すのも原則禁止、看護師に様子を聞くと、日に日に弱っている。
コロナの影響でリハビリ専門病院の転院先も見つからない。
母は家に帰ると生きる気力が湧くので、担当医に退院させてほしいと伝えると、「君が連れて帰って面倒見てもお母さんは絶対に3日で死ぬよ。運良く生き延びたとしても、一生口からは食べられないし、一生歩けないよ」とかなり高圧的に言われた。責任はこちらが全て持つと伝えたら、腹に穴を開けてチューブを通す胃瘻の手術が必要だから許可しろとしつこい。母の退院の許可を出してもらうため、高慢で高飛車な担当医のプライドを傷つけないように相手を褒め続け、感謝の姿勢を示し続け、胃瘻は拒否し、担当医が言うには、お母さんは自力で痰が出せないと言うので、電動の痰の吸入器を購入し、お母さんは自力で嚥下できないと言うので、嚥下障害の人用の高カロリーゼリー系を三ケース程購入し、リクライニングのイスを購入し、ネットで嚥下障害の人への食べさせ方を勉強し、それを伝えても納得しないので、在宅医療の病院に申し込むと、一軒目が快く引き受けてくれるも、担当医が直接電話したとかで断りの電話が来、二軒目の在宅医療(母のかかりつけの医院が在宅医療サービスも行っていることに遅れて気づいた)に申し込むと、こちらも当初は快く引き受けてくれるも、担当医が直接電話したそうで、在宅医療の担当看護師にこちらが逆ギレされて断られた(今後のことを考え、こちらが下手に出て相手を立ててあげた)。
それでも一週間後に退院させてくださいと言い続けてやっと許可が出た。
退院の日に母を迎えに行くと、母は手術直後に面会したときにはあんなに元気だったのに、その後5週間の入院を経て母の意識は朦朧、喋れなくなり、動けなくなり、左手が僅かに動くのみだった。
全身も赤黒く変色していた。
母を家に連れ帰ると、起き上がりこぼしのように上半身を起こしてはランダムな方向に倒れ、その反動であちこちに移動する発作が起こり、少しでも目を離すと色々なものに頭をぶつけ、大きなコブを作って泣いている。
俺一人では母の命に関わると思い、姉に電話して手伝いに来てほしいと頼んでもあっさり断られ、翌日も再度姉に電話して一週間でいいから手伝いに来てと頼んでもあっさり断られ、本当に縁を切ろうかと思った。
母の発作は昼間も夜中も続き、右手は拘縮し、左手が動くようになると頭の手術跡を引っ掻こうとするので朝まで手を抑え続け(母の退院後10日間は俺寝てない)、それでも栄養を取らないといけないので、退院初日に水を飲ませ、ゼリーを一口食べさせ、飲み込めたのでリクライニングは必要なくなり、痰も咳で出せるので痰の吸入器を使うこともなく、二日目の夜には意思の疎通が少し出来るようになり、コンビニのサンドイッチを食べると言うので母の周りのぶつけると危険そうなものに柔らかいものを縛り付けて買いに行き、母はたまごサンドを半分食べ、その後も(退院直後から全ての薬をやめさせ)俺は自分の思うやり方で介護を続けると、6月1日に退院の後、7月半ばまでには、母はイスに座って一人で食事出来、拘縮していた右手も回復し、全身の赤黒い肌も正常に戻り、意識も言葉も正常になり、一人でトイレに行けるようになり、歩行器や杖で庭を歩けるまで回復した。餅も食べれるようになった。
しかし母が一人でツッカケを履いて庭に出ることが出来るようになった直後、老人の罹患しやすい帯状疱疹になり、神経痛で一ヶ月寝込んで上半身も起こせなくなった。
一ヶ月で神経痛が収まると、俺は母の手を引いて再び歩く練習をさせ、三週間後、また一人でツッカケを履いて庭に出ることが出来るまで回復したのに、その直後、俺が台所で洗い物をしていると、トイレから歩いてきた母が入り口で転んだ拍子に帯状疱疹の神経痛が再発した。
母がまた寝たきりになって上半身も起こせなくなって二週間以上過ぎた。
写真は俺が母の88歳の誕生日(2020年7月9日)に、予算8万円でプレゼントした、伊勢海老と神戸牛(ステーキ、すき焼き肉、コロッケ)。
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