日本のソーダの歴史
2013-12-31 20:00:58
大正10年(1921)、太陽曹達(たいようソーダ)株式会社が関係各所に配布した本に、『世界の不思議』というものがあります。
自社製ソーダの紹介を目的とした本ですが、その前書きの中で、ソーダの産地である東アフリカのマガジ湖を、世界7不思議の一つと称しているので、この書名もそこから採られたものでしょう。
ソーダ(曹達)というのは炭酸ナトリウムのことで、、ガラス、製紙、製薬、染色、石鹸、洗濯等、様々な用途に使用されます。
当時はまだソーダの国内での製造は技術的に難しく、日本では明治40年(1907)に旭硝子が、大正9年(1920)に日本曹達が設立されますが、初期には価格的に外国産のソーダに太刀打ち出来ませんでした。
特にイギリスのニ社、ブラナモンドとマガジソーダとは、日本のソーダ業界をほぼ独占していました。
しかもこの二社は協力関係になく、互いに日本市場を独占しようとしてダンピング(不当廉売)競争を行ったため、旭硝子と日本曹達とは厳しい戦いを強いられます。
旭硝子と日本曹達とは日本政府に国内産業の保護を要求しますが、その頃はまだ、旭硝子と日本曹達のニ社だけでは国内のソーダ需要を賄うことは出来ず、政府は結局、ブラナモンドとマガジソーダのダンピングを野放しにします。
そうした中、大正7年(1918)11月、後の太陽曹達株式会社専務取締役磯辺房信は、英国からの招請を受けて渡英し、英国と日本との距離の半分にあたる、東アフリカのマガジ湖産の天然ソーダなら、より安い運賃で日本に提供できると悟ったそうです(と本人は『世界の不思議』に書いていますが、そう説得されたのでしょうか)。
こうしてロンドンのマガジソーダ社と、神戸の商社、合名会社鈴木商店とが提携し、日本に対するマガジ湖産天然ソーダ灰、及びその加工品の独占販売権を獲得します。
ブラナモンドと旭硝子・日本曹達が化学的製法によりソーダを製造したのに対し、マガジソーダは天然のソーダを手に入れることが可能でした。
それは当時、イギリス領東アフリカのマガジ湖に対し、イギリス政府から99年間の租借権を得ていたからです。
マガジ湖における天然ソーダの埋蔵量は、当時の全世界の消費量を、200年以上賄えると考えられていました。
しかし、地理的に東洋にしか販路を持たなかったマガジソーダは、低価格競争に音を上げて、1924年、ブラナモンドの傘下に降ります。
1926年、ブラナモンドはノーベルダイナマイツと合併してICI(Imperial Chemical Industries Inc)に社名を変更しますが、その後ICIは、日本では傘下にあるマガジソーダのソーダ灰の販売に力を入れます。
しかし旭硝子と日本曹達とは、ソーダ製造の効率化と改良を進め、ついに欧米と同じレベルの品質と価格を実現します。
製造量も国内需要を十分に賄うことが可能になったので、政府も保護政策に乗り出します。
こうしてICIは日本から撤退し、旭硝子と日本曹達のニ社が、日本でのソーダ需要を独占することになります。
マガジソーダから、日本でのマガジ湖産ソーダの独占販売の権利を得た、出来たばかりの太陽曹達(たいようソーダ)株式会社が配布した本、『世界の不思議』から抜粋。
『若干の必要品はまとめてワガハイの部屋を共有せる友人の毛布に包んだ。しかして下男に命じて旅具一切をくくらせたが帯が余り短か過ぎたので布片を足して繋ぎ合わすことにした。かくて仕度((したく))万端整ったのでいよいよ出立することにした。ワガハイは今や茶色装束の遠征隊のような気がした。なるほどワガハイはまことの遠征隊式に少しばかりの付属品を携帯していたもんだ。ワガハイは来るべき無量の印象を創造しつつ「オイ、君、僕は遠征に出かけるんだよ」と、出くわした友人に壮語してやった。
ナイロビ駅に着くと機関車が退屈そうに待っていた。客車が連結せられたのでワガハイは乗車した、我がカメラの友も続いた、彼は写真機の付属品を座席と床一杯に置いたからたまらない、他の乗客には少しの余席も残さなかったので汽車が動き出してから窮屈ではあったが少しの席を譲ってやった、それも他人を慰めてやるんだから仕方がなかった。
マガジ行き乗り換え所に着くやもちろんワガハイは下車しなければならなかった、降りがけの行動たるや遠征隊の一員たる威厳をもって演じられたのだ。さながら遠征道具を締める帯の補いものとして用いた糸のことには想い及ばなかったものだから思いきり大股に最後の一歩を踏み去ったとき糸が切れてしまった。ワガハイの貧弱な旅具と財産とはみすぼらしく散を乱してこぼれ落ちた。』
①旭硝子・明治40年(1907)創立
②日本曹達・大正9年(1920)創立
③太陽曹達の沿革
大正8年(1919)・総合商社鈴木商店の子会社として太陽曹達(株)創立
大正10年(1921)4月・日本においてマガジ湖産の天然ソーダ灰の販売を開始
大正10年(1921)8月・『世界の不思議』出版
昭和11年(1936)・化学研究所において、希元素の研究着手
昭和14年(1939)・太陽産業に社名変更
昭和24年(1949)・企業再建整備法により太陽産業(株)を解散、太陽鉱工(株)設立
平成24年(2012)・現在は主にレアメタルの製造販売を行う
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