少子化の不安は既に大正時代から

2014-01-05 20:26:40

私は思うんですが…

私が子供の頃は、世界の人口が増えすぎていて、このままでは食料とエネルギーが不足して立ち行かなくなるので、いかにして人口増加を抑制するかが社会的な課題だったと思います。

それが近年では、どうやって自国の人口を増やすかの議論をよく耳にします。

大正の頃からすると、現在の人口は既に二倍以上に増えています。

日本では第二次大戦後の高度経済成長期にベビーブームが起き、団塊の世代と呼ばれる短期的爆発的な人口の増加を迎えたので、彼等が皆老人になると、年金等の社会保障費が枯渇する心配から、また人口を増やそうと努力しています。

理想は(全世界的な)緩やかな人口減少だと思いますが、しかしそう上手く行くでしょうか。

私は一時的な痛み(社会保障費の枯渇等)を和らげるために人口の増加を奨励するより、一時的な痛みが過ぎ去った後の、日本国内での適度な人口による緩やかな競争社会(雇用や進学の面で)と、技術立国としての、他国に対する対外的な競争力を養うような社会作りを考えるべきだと思います。


フランスが少子化から脱したのは、育児に対する各種手当てを充実したことか大きいと思います。

子供がいると得をすると考えれば、皆子供を欲しがるかもしれません。

でも、日本がまだそれほど豊かでなかった時代には、経済的な問題が解決すれば、皆子供を欲しがったように思います。

これは、皆子供を宝だと考えていたからです。

子供がいること自体が幸せだと感じた時代から、現代では各種手当により、子供がいると経済的に得になるというように、本末転倒な世の中になっているような気がします。

もちろん良い親も沢山いますけど、そうでない人もいますね。


大正5年(1916)の『本邦人口の現在及将来』によれば、日本では明治4年に戸籍法が出来、翌明治5年から全国の人口を調査して戸籍簿を作ったそうです。

その後明治6年から明治30年までは、毎年本籍人口の異動を調べ、これを前年の人口に加除して算出していたそうです。

明治31年には改正戸籍法が実施され、それまで内務省に属していた戸籍事務を司法省に移し、その際人口統計に関する事務だけは内閣統計局所属としました。

それまでは毎年内務省が各地方からの報告を集めていたのを、5年毎の報告に改めました。

人口調査の方法も、それまでのように前年の人口に加除することをやめ、5年毎に現在の人口を数えることにしました(センサス方式といいます)。

以上を本籍人口と称しますが、この本籍人口に、各地方の入出人口を加除したものを、現住人口と称すようです。

昔の現住人口の調査では、市役所と警視庁の調査で現住人口数が一致せず、市役所の調査では、入寄留者と出寄留者の脱漏により実際の人口よりも多くなり、警視庁の調査では、巡査が各戸を回って調べるので、実際の人口よりも少ない傾向がありました。

大正2年の東京市の調査では、市役所の調査で203万3320人、警視庁の調査では165万3396人でした。

そこで寄留の出入りの多い地方は、その誤謬も多く含むと仮定し、全国の出入寄留の誤謬的差異を各府県の出入寄留数に按分(基準となる数量に比例して物を分けること)し、これを各府県の現住人口から引いて訂正したものを乙種現住人口とし、訂正しないものを甲種現住人口としました。

『本邦人口の現在及将来』によれば、『欧州諸国北米合衆国豪州等においては一般に近来出生率低下の傾向がある』p70とあり、『要するに文明国一般の共通問題となったのである。そこで学者となく政治家となく朝野こぞってその原因の探求その改善策に腐心するという状況となった。』p71とあります。

当時既に、人口減少問題は各国で論じられていたんですね。


以下は明治34年(1901)~明治43年(1910)の10年間における、人口千人に対する年平均出生率(‰)です。

フランス・20.7

イギリス・27.2

イタリア・32.5

日本・32.9(ちなみに2009年度には8.5まで低下します。)

ドイツ・33.4

オーストリア・35.0

ハンガリー・36.8

セルビア・38.7

ルーマニア・41.1

ブルガリア41.1

ロシア・約47


フランスでは特に出生率低下が顕著で、この時から百年前の1801年~1810年の平均出生率は32.9ですが、その後10年毎の平均は、31.8,30.6,28.8,27.2と減り続け、1901年~1910年の平均では20.7まで下降しています。

フランスに比べれば他の国々の出生率は高いように思えますが、それは現代の感覚で、当時既に人口減少問題が各国で論じられていました。

『ドイツの経済的発展社会的進歩の著しきにも拘わらず、出生率低落の勢いは更に止まざるのみならず前代未聞の低率を示すを見る』同書p74

当時の各国の憂国者達が、現代の出生率を知ったらどう思うでしょうね。

『本邦人口の現在及将来』では、米が豊作の後には出生率が増加すると指摘しています。

(明治19年から三年連続の豊作、平年三千万石に対し、各、三千七百万石・三千九百万石・三千八百万石。出生率、明治18⇛26.9・明治19⇛27.3・明治20⇛27.1・明治21⇛29.6・明治22⇛30.2・明治23⇛28.3・明治24⇛26.7)


大正5年における世界の人口は約16億人でした。

各国の人口(約百年前)

中国・4億3842万5000(1910年)

ロシア・1億2564万0000(1897年)

アメリカ合衆国・9197万2000(1910年)

ドイツ・6492万5000(1910年)

日本・5336万2000(1913年)

イギリス4522万1000(1911年)

フランス3960万1000(1911年)


2011年における世界の人口は約70億人です。

各国の人口(現在)

中国・13億4757万0000(2011年)

ロシア・1億4284万0000(2011年)

アメリカ合衆国・3億1309万0000(2011年)

ドイツ・8216万0000(2011年)

日本・1億2650万0000(2011年)

イギリス6242万0000(2011年)

フランス6313万0000(2011年) 

天水晶の心臓

過去に書いたものでも置いて行こうかと思います。

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