確率と神
2013-08-11 05:43:17
古来から、人は思い通りにならない運命を神の仕業と考える。
都合の良い運命が訪れた者は、神に愛された者と考える。
気に入らない者が悪い運命にあると神罰だと考え、そうでない者が悪い運命にあると、神の試練だと考える。
禍福をサイコロの目のように捉える者は、それを真理そのものと考える。
『陰極まれば陽になり、陽極まれば陰になる』
『人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し』
『善因善果、悪因悪果、異熟果』
それを神と呼ぶか、法(ダルマ)と呼ぶか、確率と呼ぶか、どちらにせよその主体は善でもなければ悪でもない。
ただ現れた結果を、受け取り手の都合で善と感じ悪と感じるだけ。
最初に力を加えたものが誰であれ、加えられた力そのものは善でも悪でもない。
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